2「環と環と、ロレックス」

第百四十八話 城見龍里

★★★

十七時。

藤島環ふじしまたまきはコルヌイエホテルのメインロビーに降りた。

夕暮れどきと言うことで、ホテルゲストだけでなく巨大な高級ホテルで食事をしたり待合せたりしている人でいっぱいだ。


環はメインロビーのレセプションカウンターの前を通り――カウンターの中には、さすがに美貌のホテルマン・井上いのうえの姿はなかった。とりあえず勤務が終わったのだろう――すわり心地ごこちのよさそうな椅子に陣取じんどってに談笑している人たちを眺めた。


メインロビーで明るくさんざめく人の中には、環と待ち合わせているはずの映画監督・城見龍里しろみりゅうりらしき姿はなかった。

環はゆっくりとオープンラウンジを眺め、それからもう少し先まで行ってみた。

この先はコルヌイエホテルのショッピングエリアになっていて、有名ブランドが並んでいる。


そのショッピングエリアの手前に、小さなライブラリーラウンジがある。

基本的に宿泊・飲食ゲスト専用のラウンジで、入り口のドアは開いているがスタッフが常駐しているのでコルヌイエホテルをよく知るゲスト以外は入りにくい場所だ。


まさかここにはいないだろうと環がのぞきこむと、優雅な背もたれのついたチッペンデール風の椅子に座っている長身の、年配ねんぱいの男が目についた。

男は手にした本をじっと見ている。

環がみていると、男はじっと同じページに目を落としたまま、小刻こきざみに右手の親指で頬のあたりをひっかいていた。


環は入り口にいるスタッフにそっと目顔めがおで挨拶をしてから、小さなライブラリーに入っていった。

環が近づいていくと、その気配に男は顔をあげた。


面長おもながな、頬骨のやや高い顔つき。

目じりはかすかに下がり、唇は厚めでハンサムと言うよりは人好ひとずきのする顔だ。

城見龍里しろみりゅうり、六十二才。

香港ほんこん在住の日本人映画監督で、去年撮った映画はカナダ・モントリオールの映画祭で最優秀賞を受賞した。

日本人とは言え、日本を離れてもう二十年以上がたっており、今では香港の映画監督としての知名度が高い。


この男が、松ヶ峰紀沙まつがみね きさの若き日の恋人だ。

環は静かに男に声をかけた。


「城見さま、ですか?私は藤島と申しますが」


環が名乗なのると、男はふわりと笑った。

笑うと口元と目じりにクッキリとしわが寄り、人好きのする表情がもっと柔らかくなった。


「やあ、こちらが見つけるつもりだったのに。失礼した―――ええと、少し待ってくれ、本にしおりを挟むから」


そういうと男は不器用に立ち上がり、着ている上着をパタパタと叩き始めた。

立ち上がると環が思ったよりも背が高いようだった。

聡や音也よりは低そうだが、今野よりは高い。ということは、百八十センチに近いだろうか。


城見は本を小脇こわきに抱えたまま、グレーのたけの長いジャケットのあちこちをしきりに叩いた。

環が見るところ、城見は左の内ポケットに何かを入れているらしく、そこだけがふっくらとふくらんでいた。

城見は左の内ポケットだけを上手によけて身体中をたたき


「おかしいな、どこかに飛行機のチケットを入れておいたんだが」


とつぶやいた。

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