第百四十六話 おれ以外の男

藤島環ふじしまたまきは小さな頭のなかで次々と考えた。


今野こんのは政治家としてどこまで行けるだろう?

性格から言って、さとしのように国政こくせいの大舞台で華やぐタイプではない気がする。むしろ、地元の小さな輪の中で支援者とやり取りしながら存在感を増すタイプだ。


だとしたら、市議か県議―――そう、県議あたりがいいかもしれない。

二十四歳なら政治家にはまだまだ若い、と環は思う。

あと二年か三年ほど聡の下で実績をあげ、経験を積んで三十歳前後になれば、県議選でもいいところへ食い込めるだろう。

あとは後援会の固さがものを言う。

それを作り上げるのは、にかかっている。


そんな環の気持ちを知らず、今野はただもう明るくしゃべった。


「俺、こんな高級ホテルのスイートになんか泊まったことねえんだけど。やっぱ、すごいねコルヌイエホテルって。かねと価値が一致しているっていう感じがするよ。こんなところでさ……」


と今野は言葉を切り、隣にいて一緒に眼下に広がるホテルの日本庭園を見おろしている環にニヤリとしてみせた。


「カノジョをたっぷりかわいがったら、楽しいよね」

「かわいがる?……あっ、何言っているんですか、今野さん!」

「明日はさ、べつに用事もないじゃん。夕方までのんびりと東京見物して帰ればいいって、聡さんから言われているんだよね。

ってことはさ、今夜はじっくりと環ちゃんといろんなことをして、明日の朝は寝坊するってことで」

「そういうことじゃありません!」


環が顔を赤くして怒ると、今野が笑いながらそっと後ろから抱きかかえてきた。


「環ちゃん」

「なんですか」

「怒んないで……緊張、とけた?」


はっと、環は身体をこわばらせた。

名古屋駅を出てからついさっきまで、環はひそかに緊張しっぱなしだったのだ。

亡き松ヶ峰紀沙まつがみねきさの遺品を、昔の恋人に手渡す。

その行為の唐突さに、環自身も怖気おじけづいているのだった。

環は、自分を支えている今野の腕をじっとみた。


「気づいていましたか?私がずっと緊張していたってこと」


今野はポリポリと自分の鼻の頭をかいた。


「どうかな。今日は朝からあんまり食べないとは思っていたよ。でもほら、その、いろいろあるだろ、女の子には」

「女の子?」


環が少し驚いて聞き返すと、今野は上唇をぺろりとなめて


「ええと。“そういう”の」


ああ、と環はうなずいた。それからあわてて


「あの。ちがいますよ、今」


と言った。それを受けた今野はぶっきらぼうに答えた。


「違うみたいだね。あのさ環ちゃん、誤解してほしくないんだけど」

「はい」

「俺は、環ちゃんと“そういこと”ができなくてもいいんだ。それでも今回の東京行きに、俺以外の男を付き添わせるつもりはなかったよ」

「おれ以外の男?」


環は目をみはって背後の今野を振りかえった。

こういう時の今野はいつも決まって、少し怒っているように見える。バランスのいい顔立ちをしぶそうにしかめて、口をとがらせているからだ。


銃を持った腕利うでききの猟師の目の前で、逃げることも隠れることもできない小鹿のようだ。

今野の形の良い両目が、まっすぐに環を見ている。


「環ちゃんが困ったり悩んだりしている時に、隣にいる男はだ。聡さんでも、音也おとやさんでもだめだ。

環ちゃんにもそう思っていてほしい」


ゆっくりと、環を抱きしめている今野の両手に力がこもった。

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