第百四十二話 機嫌の悪いリス

「えっ?どうしてツインをとったんだって?」


たまきがめんくらってそう尋ね返すと、今野こんのは二人分のバッグを持ってイライラと不案内ふあんないな東京の道を歩き始めた。


「ツイン二部屋なんか、いらないだろ」

「でも、コルヌイエのお部屋はツインかダブルだけなんです。シングルってないんですよ、このホテル」

「ダブルひとつでいいじゃん」


むっと口をとがらせ、今野はせかせかと歩いていく。


「いまさら、別の部屋で寝る必要がある?君が何を考えているのか、さっぱりわからないよ」

「…あ」


環はようやく今野の不機嫌の意味を悟り、小さく口をあけて立ち止まった。


「今野さん。私、そういうつもりじゃ―――」

「そう言うつもりじゃなくてもさ」


まだ機嫌の悪い今野は、コルヌイエホテルのガーデン棟の入り口近く、ドアマンに声が聞こえないところで環をふりかえった。

まるでリスがカリカリとクルミのかたいからをかじり続けるように環に噛みついてくる。


「君にとっちゃ、俺なんか一緒に連れて歩くのが恥ずかしい男なんだよ。そりゃそうだ、君は毎日、さとしさんとか音也おとやのアニキみたいな超絶イケメンを見てるんだもんな。俺なんかハムスター程度だ」


環はもう、何を言っていいのかわからず、ただ黙って立ち尽くしていた。

今野も言いすぎたと思ったのか、ちらりと背後の環を見てから苦笑にがわらいをした。


「わかってよ。ハムスターにもプライドってもんがあるんだ。君のいきひとつでふっとぶようなプライドだけどね…」

「今野さんは、ハムスターなんかじゃありません」


環はかろうじてそう言った。

今野は愛嬌のある顔をくしゃりとゆがめて、仕方なさそうに笑う。


「じゃあ、俺は君の何なの?―――って、そこまで追い詰めても、答えは分かんないんだろ。君にも」


それだけ言うと、今野はふっと呼吸を整えていつもの明るく軽い表情を作り直した。


「ほら、ホテルについたよ。この先は君が案内してよ。チェックインはメイン棟のロビーだよね」


ええ、と答えてから環は今野と一緒に明るいコルヌイエホテルの中に入っていった。隣にいる今野の肩が少し張っている。

男の人と一緒にいるってむずかしい、と環は内心でため息をついた。


しかし今野の不機嫌は長く続かなかった。

コルヌイエホテルの華やかなメインロビーにつくと、今野は環をラウンジの椅子に座らせ、荷物を見ているように言いつけて自分ひとりで身軽にチェックインカウンターに向かった。

手続きをしている。


そのとき、環は今野の相手をしているのが顔なじみのベテランホテルマン、井上いのうえであることに気がついた。

おもわず環の口から、安堵の言葉がもれる。


「ああ。井上さんがいらしゃる…もう安心だわ」

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