第六章

1「松ヶ峰紀沙のいない コルヌイエホテル」

第百四十一話 ”お泊りデート”

初夏と言うよりもう夏のような暑さのなか、藤島環ふじしまたまき松ヶ峰まつがみね事務所のスタッフ・今野哲史こんのてつしとともに東京メトロの赤坂見附駅あかさかみつけえきに着いた。


複雑な駅は何度きても環の目をくらませ、今日もコルヌイエホテルの最寄もより出口がどこだか、よくわからない。

環の隣では二つのカバンを持った今野が、スマホをにらんでぶつぶつとつぶやいている。


「ああもう、この地図はわかりにくいな。一番近い出口は…紀尾井町口きおいちょうぐちか?あっ、くそ。これはコルヌイエホテルのガーデン棟じゃねえか。メイン棟はこの奥か」

「あのホテルは三つも棟があるんです。分かりにくいんですよ。でもガーデン棟に入ってしまえば、あとはメイン棟までつながっていますから」

「そう?ごめん、俺ぜんぜん役に立たないな」


ふふ、と笑って環は今野のサックスブルーのシャツを着た腕に、小さな手を乗せた。

今日の環は、今野のシャツの色とよく似た、夏の空と同じ青いワンピースを着ていた。足元にはおなじみのフェラガモ。

だがいつものようにヒールのないフェラガモではなく、二センチほどの小さなヒールがついているデザインだ。靴のサイドに入った菱型のカットワークが軽快なリズムを作っている。

そしてクリームベージュの靴の上には、今野のシャツと同じ色のリボンが飾られていた。


「東京までついてきてくださって、ありがとうございます。だけど、ごめんなさいね。サト兄さんの事務所が正式に開いたばかりで、今野さんも選挙準備に忙しいところなのに」

「ごめんなさい?なんでそんなことを言うの」


今野は太い指で、ちょん、と環の鼻先をつついた。


「君と初めての”お泊りデート”じゃん。俺は昨日なんか、眠れなかったよ。環ちゃんは眠れた?」


今野がそう言うと、環はふっくらした頬を赤くしてうつむいた。

それを見た今野が環の顔をのぞきこんで笑う。


「じゃあ、とりあえずコルヌイエホテルにチェックインしよう。待ち合わせは夕方五時だけど、とにかくもう暑くてたまらないよ、東京は」


と今野は環とともに赤坂見附駅あかさかみつけえきを出て、コルヌイエホテルに向かい始めた。

駅を出ると江戸城の外堀だった弁慶堀べんけいほりがあり、橋を渡ればすぐにコルヌイエホテルの巨大なガーデン棟が見えてくる。


「でかいね」


今野はホテルを見上げてつぶやいた。環は微笑んで


「このガーデン棟だけで八百室もあるそうですよ。こちらの棟のほうが新しいんですけれど、紀沙きさおばさまはいつもメイン棟をお使いでした。それで今日もメイン棟で予約したんですけど、よかったですか?」

「いいけどね」


といいながら、今野はぷっと頬をふくらませた。

こういう表情をすると、今野はきげんの悪いリスみたいな顔になる。たしか今野は環と同い年の二十四才のはずだが、年齢よりもずっと若く見える。


「なんで、ツインを二部屋とったの?」


むうっと口をとがらせたまま、今野は環に向かってそう言った。

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