第百四十話 長い片恋も言えなかった愛情も

「うん?」


暗いショットバーの中で、北方御稲きたかたみしねは電話ごしの声に耳を澄ませた。


「なんだって?」


御稲が聞き返すと、電話の相手である城見龍里しろみりゅうりはちょっと早口になって続けた。


「ありがとう。ありがとう、その」

れいにはおよばないよ。紀沙きさの命令だからね」


御稲の言葉に、城見もああ、とつぶやいて同意した。


「あんたは昔から、紀沙の言葉にはノーと言えなかったな」

「そっちもだろう。そのおかげで、になった」


城見はもう、黙っていた。御稲のいうとおりだと思ったのか、それとも四日後の金曜日のことを考えているのか。それは御稲にはわからなかった。

そのまま、御稲はかちりと通話を切った。

そこへタイミングよく新しい酒のグラスが置かれる。


優美なフルートグラスに入れられた、ルビーのような赤い酒。シャンパンとクレーム・ド・カシスを使った美しい酒は、キール・ロワイヤルだ。

御稲の親友・松ヶ峰紀沙まつがみね きさが愛した華やかなカクテル。

優美で、圧倒的な存在感があり、いつも太陽のように照り輝いていた北方御稲の親友によく似た酒だ


口数の少ないマスターは、ひしゃげた耳を傾けてぼそりと言った。


「お連れさん、そいつが好きだっただろう」

「ああ、そうだったね」

「俺からの香典こうでんだ」


御稲は薄く笑って、鮮やかに赤い酒を明かりに透かして見た。


「ありがたく、いただくよ」


すうっと、ようやく御稲の頬に涙が一筋流れてきた。


「あんた、あのひとに惚れていたね?」


マスターが、ポツンという。

御稲はただもうだまって、紀沙の代わりに酒を飲む。

長い片恋も言えなかった愛情も、すべては紀沙が持って行ってしまった。

そして今、御稲の耳にはどこかから惚れた女の声が聞こえている。


ありがとう御稲、と言っていた。

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