第百三十三話 麒麟の羽根音

夜の“ブルーチューリップ”の部屋の中で、さとしがゆっくりとした愛撫を始める。

音也おとやは何も言わなかった。ただ聡が指で鎖骨や咽喉のどや胸を撫でるのに、じっと耐えている。

聡はそっと、音也の胸に口をつけた。


ひくっと、音也がふるえる。

聡はかまわずに、十日前のコルヌイエホテルのスイートルームでできなかったことを次々にやってみた。


しずかな、何もない静かな“ブルーチューリップ”のなかで音也の身体が静かに跳ねる。

聡は、ゆっくりと音也の身体の中に指をすべりこませた。

その瞬間だけ、音也の身体がはっきりとうねった。


「……は、サト……」

「どこが、いんだ?俺はこういうのは初めてだから、よくわからねえよ」

「よ……せ」

「馬鹿。ここまできて、やめられっかよ」


聡は笑って、音也を大正時代に作られたタイルの上にやわらかく倒した。その間も、指をそっと動かし続けている。


「お前のい場所は俺がおぼえておかなくちゃ、だめだろ。おい、こういう時、やらしい顔をするんだなお前」

「十日前の、おまえほどじゃないよ」


音也は美貌を快楽でゆがめつつ、聡に向かって言い放った。


「きが、くるうかとおもった。おれの指と舌が、おまえに触れているだけで、あれほど気持ちよくなれるなんて知らなかった。たかが、あれで」

「たかが?俺はもう、意識が飛びそうだったぜ」


そしていま、指と舌の愛撫でしびれそうになっているのも、聡のほうだ。

音也も眉をひそめて悦楽に耐えているが、愛撫を与えているはずの聡のほうがもうあふれ出しそうになるほどに、張りつめている。


「声、だせよ音也」


聡がそう言うと、音也は聡の肉の厚い身体の下で、チッと舌打ちした。


「おまえが出さないのに……どうしておれが、声を出さなきゃいけないんだ」

「俺が、聞きたいからだよ」

「いやだ」

「強情だな」


くっと、聡は音也の中で指を曲げてみた。音也が、明らかに快楽に耐えかねて声をもらした。

吐息のような。

息を集めたら“さとし”と言う音になりそうな、ため息だ。

聡はゆっくりと身体を倒して、音也の耳にささやいた。


「俺の、名を呼べ。俺だけを呼べ」


暴君のような聡の言葉に、いまだけは音也がすなおに従う。


「さと……さ……さと」


いとしいひとの呼吸音が、なにもない“ブルーチューリップ”のなかに満ちていく。

温かくやわらかく、松ヶ峰聡まつがみね さとしを狂おしく駆り立てる何かが、からっぽの部屋の中にあふれていく。


それを愛と呼ぶには聡はまだ、ものを知らなさすぎる。

だが、それを欲情と呼ぶには、聡はもう深すぎるところまで踏み込んでしまった。

愛情と欲情がいりまじり、聡の長い指となって、いとしいひとの身体をさぐっている。

熱と愉悦がいりまじり、音也の皮膚の上に星のかけらのように散りしきる。


「さとし」


と、聡の下で、生まれて初めて本気で惚れた男がしなやかな身体を揉みしぼり、切ない息をたてていた。


「聡。助けてくれ。おれがもう、どこにもいかなくてすむように。おまえがおれを、ここにつなぎとめてくれ」


うん、とほほ笑みながら聡は音也を見おろした。

聡の耳のどこかで、音を立てて流れゆく川の動きと、水の流れに乗るブロンズ製の麒麟きりん羽根音はねおとが聞こえている。

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