2「松ヶ峰聡と、白い鳳たち」

第百二十一話 政治家の家族 

四か月後の衆院選に立候補を表明している、松ヶ峰聡まつがみね さとしの政治秘書・楠音也くすのき おとや行方ゆくえをくらませてから、十日がたった。


今日の聡は”本郷ほんごう”の叔父とともに、名古屋ホテルの広いレセプションホールに立っている。

聡の叔父である松ヶ峰康雄まつがみね やすおの所有する病院の、五十周年記念パーティがおこなわれているからだ。


もっとも列席者は、病院関係者以上に松ヶ峰家の後援会”吉松会きっしょうかい”の参加者が多く、病院の名を借りた吉松会の懇親会こんしんかいという意味あいが強い。

そのため、聡と叔父のまわりにはつねに酒を片手に声をかけてくる吉松会メンバーがとぎれなかった。


「いやあ、松ヶ峰さん。実に久しぶりの選挙じゃないか。”吉松会”としても腕が鳴るね」

「ああ、吉田よしださん。あんまり久しぶりなんで、わしの腕がびついとらんか、心配だわ」

「よう言うな、あんた。亡くなった兄さんの選挙では”鬼”と言われた男じゃないか」


聡の叔父に向かって大声で笑いかける恰幅かっぷくのよい男は、松ヶ峰家の後援会である”吉松会”の大幹部で、名古屋の都心部に複数のクリニックがつまったビルを数棟持つ医師でもある。

名古屋の医師会でも、かなり大きな顔ができるひとりだ。そして医師会は、保守派の政党にとって確実な票田ひょうでんのひとつである。

聡は神妙しんみょうな顔で頭を下げ


「叔父や吉田さんのような方がいらっしゃらなければ、とてもわたくしのような若輩者じゃくはいものが選挙に出ることは、かないません。なにとぞご指導をねがいます」

「ああ、聡君。その年で初選挙は荷が重いかもしれんがね。しかし、わしら”吉松会”にとっては、長年ながねんまちのぞんでいた選挙だ。何としても当選させるよ」

「”吉松会”、ひいては吉田様あってのわたくしです。よろしくお引き回し下さい」


そういいながら、聡はちらりと広いレセプションホールのすみに目をやった。

そこには、聡の妹分いもうとぶん藤島環ふじしまたまきが後援会の女性たちに交じって、つつましやかに立っている。

今日の環は藤色の着物をきて、どこまでもひかえめだ。


なるほど以前に音也おとやが言ったとおり、こういう”場”に入ると、環は背後にとけこむように気配を消せる。

それでいて誰かが話しているのを上手に聞き、いいタイミングでうなずいてみせる。

それで、がなごむ。


藤島環とは、ピリピリするような政治の場において潤滑油のように物ごとをなめらかなに動かせる人間なのだった。

そのくせ、環の容貌はどこまでも平凡で特徴がない。

女性にとってはぎょしやすく、平気で見くだせて敵対心をつのらせる必要がないタイプの女だ。

政治家の家族としては理想的な存在感を、いつのまにか藤島環は身につけていた。


もし今野こんのが将来、政界に入ろうというのなら環が役に立つかもしれない。


聡は後援会幹部との挨拶のあいまに、ちらりとそんなことを考えた。

それからすっと、目じりを鋭くした。

松ヶ峰家の叔母・野江のえが、いつ見ても不機嫌そうな顔つきのまま、環に近づいてきている。


野江は、以前から環が松ヶ峰本家まつがみねほんけに住んでいるのが気に入らず、ことごとに環にきついことを言う。

聡はできる限り環をかばってきているが、今はだいじな後援会幹部との談笑中で、身動きも取れない。


吉田の話が早く終わらないか、と聡は内心でじりじりとした。

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