2「松ヶ峰聡と、麒麟の羽根」

第九十五話 気の毒な瑞獣

★★★

「ああ、これです。なつかしいですね」


人の行きかう日本橋にほんばしの歩道に立ち、井上いのうえはそう声を出した。それから指の長い手のひらをブロンズ製の麒麟像きりんぞうの台座に押し当てた。

麒麟像を初めて見るさとしは想像以上の大きさに驚きながら、一対いっつい瑞獣ずいじゅうの像を見あげた。


「大きいんだ……それに思っていたものと少し違うな」

「キリンだと思っていらした?」


井上がからかうようにそう言った。そんなふうに軽くしゃべると、井上のテノールには柔らかな色がつき、人を誘い込むようだった。

聡は苦笑しながら


「さすがに動物のキリンだとは思っていませんでしたが、もっと想像上の生きものっぽいイメージを持っていました。これはまるで龍ですね」

「瑞獣としての麒麟きりんは、これで正しいのです。顔は龍で、ひづめは馬、尾は牛で体にうろこがあるのが麒麟だそうですから」

「そうなんですか」


聡は思わず目を見張って、巨大な一対のブロンズ像を見た。

そっと手をふれてみると、初夏の午後の空気に温められた巨大な麒麟はまるで生きているような温度を持っていた。

聡は麒麟を見あげてつぶやいた。


「こいつをね、東京でつらくなるたびに一人で見に来る、と言っていたやつがいましてね。その話を聞いてから、一度ほんものを見たいと思っていたんですよ――それにしても、気の毒なロケーションの麒麟ですね」

「きのどくなロケーション?」


聡の言葉に、容姿端麗なホテルマンは少し驚いたようにながの目を見ひらいた。

長身を優美なダークスーツに包んだ井上がそんな顔をすると、ちょっと少年ぽく見えて、聡はほほえましく感じた。

日本橋の麒麟像が見たくて、母親の長い買い物に我慢してつきあっている幼い少年のようだったからだ。


それから聡はあらためて二体の麒麟像を見た。

日本橋にある麒麟像は、橋の欄干らんかんのほぼ中央部に背中合わせになって座っている。

青銅製の照明灯の根元にきちんと四肢をそろえて座っている姿は生き生きとしていて、坐像ながら躍動感さえある。


ちなみに道の反対側には同じ照明灯と麒麟像があるので、日本橋の歩道には合計で四体の麒麟がいることになる。


しかし四体の麒麟像の上には首都高しゅとこうが走り、東京のくすんだ空さえも閉じてしまっている。

わずかにのぞく首都高の隙間に向かって青銅製の照明灯が木々のように伸びているばかりだ。


「あの首都高、麒麟の頭上をふさいでしまっていますね」


ああ、と言って井上も頭上をふりあおいだ。


「そうですね。しかしいずれはこの邪魔じゃまものも、なくなりますよ。東京駅の北側から江戸橋えどばしジャンクションまでの首都高は、地下に移設される予定なんです」

「よかった……じゃあ、この麒麟も空に飛びたてるわけですか」


聡がそう言うと、美貌のホテルマンはニコリと笑った。


松ヶ峰まつがみねさまは、想像以上のロマンティストでいらっしゃる」

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