第八十三話 白い玉のネックレス

藤島環ふじしまたまきがそこまで考えたとき、コンというノックの音がした。環の部屋の重厚なチークのドアの向こうで、今野こんのの明るい声がする。


「環ちゃん、トイレ終わった?迎えに行こうか」

「いいですっ!いいんです」


環はあわててドアの前へ行き、思いっきりドアをあけた。

目の前にはコーヒーサーバーとマグカップを二つ持った今野が、キレイな顔立ちのままにやりと笑っていた。


「あーあ。トイレ前で待ち伏せするつもりだったのに」

「トイレ…まえ?」

「そういうのって、ちょっとヘンタイチックかな。いやそれはそれで、悪くねえっつうか」

「悪いです!」


環が顔を赤くしてそう言うと、今野はまた大きな声で笑った。


「はは…環ちゃん、あんたおもしろいなあ」

「…そうでしょうか。あ、こちらです、今野さん」


環は足をかばいつつ、ゆっくりと松ヶ峰邸の木細工ぎざいくの廊下を歩いていく。

どこからか、かすかにミントの香りがする風が古い洋館の中を吹き抜けていった。

初夏の風だ、と環は思った。



★★★

二階の家族用リビングに着くと、今野はテキパキとDVDの準備を始めた。


「環ちゃん、城見しろみ監督の映画は、どれを見た?」

「あ、”アオモリ”を見ました。強盗犯に間違えられた人がすごいカーチェイスで逃げ出す映画です」

「あれね、あれはかなり初期のころだな。じゃあちょうどいい。”アオモリ”の中に、五歳くらいの女の子が出てきたの、覚えている?」


ああ、と環は思い出した。


「ええ。山の中のおうちの子ですね。少ししか出なかったけれど、印象的な役でした」


今野はDVDを機械に入れ終わり、リモコンをもってソファの方へやってきた。そしてソファに座っている環の足元でリモコンを操作した。

画面が動き始める。


「この映画は”アオモリ”の二年後くらいに撮ったやつだ。城見監督はこのころ香港の映画会社と契約をしていて、オール香港ロケで撮っている。

内容はドタバタコメディなんだけど家族のストーリーを上手に織り込んであって、映画祭なんかでもけっこう評価されたんだ。

全部見るとおもしろい映画なんだけど、今は時間がないから…」


と今野はリモコンですばやく場面をサーチして、一つを選び出した。

映像が動き始める。

これもやはりカーチェイスが中心で、コメディらしくすでに屋根がふっとんだ車に三十代くらいの男が乗り、コミカルに運転しつつ後部座席で抱き合う若い女性と七歳くらいの女の子にマシンガンのような声で話しかけている。


そこへ追手らしき車が迫ると後部座席にいた幼い女の子がすっくと立ちあがり、手にしたパチンコで肉薄する追手の車に石をぶつけた。

パリッと追手の車はフロントガラスにひびが入り、大げさに運河に向かって落ちていった。まさにドタバタコメディ映画である。


今野はそこでいったん画面をとめ、ほんの少しだけ映画を戻した。

幼い少女が後部座席で立ち上がり、パチンコをかまえている場面だ。


「あれ、見えるかな。あの女の子の首に下がっているやつ」

「くびに…?あ…ネックレスですか。変わったヘッドですね」

「次のシーンになると、もっとはっきりわかるよ」


そう言うと今野は映画を進め、場面が切り替わったタイミングで再び画面をとめた。環も思わず身を乗り出して画面を見た。


「ネックレスのヘッドは輪ですか?透明感のあるものですね。素材はガラス?」


環が尋ねると、今野もじっと画面に目を凝らしつつ


「いや。”ぎょく”なんだ。ほら、白い翡翠ひすいみたいなやつ。あれに穴をあけて輪にしたものなんだ」

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