第八十一話 フォークを持つ男

たまきはもう、今野哲史こんのてつしの手ぎわの良さにぽかんとしていた。

そのあいだも今野は、松ヶ峰家のサンルームにあるキチネットからシルバーカトラリーを出し、オーブンからパンを取り出しては並べ、バックパックから水のボトルまで取り出した。


慣れた仕草で、ボトルからクリスタルのグラスへ水を入れる。

とん、と最後にグラスをテーブルに置くところまでが、まるでショウのように華があった。

環のくちがふさがらない。

その様子を見て今野は笑った。


「ほら、卵が熱いうちに食って――うまいからさ」

「あ…ありがとうございます」


環は取り分けてもらったオムレツを前にして、まだ呆然としている。

今野は自分の皿からシルバーフォークで一切ひときれのオムレツを取り、そのまま環の前に差し出した。


「ほら。ほんとにうまいんだぜ?」


環はもう、自分が何をしているのかよくわからなかった。

だからそのまま、差し出された今野のフォークからすなおに卵を食べた。

ベーコンの塩気と玉ねぎの甘み、チーズの濃厚さにオレガノやコショウの香りが一体となって環の口の中ではじけた。


「おいしい、です」

「だろ?俺、料理人としちゃモノにならなかったんだけど、フリッタータだけはどこで作ってもめられるんだよね」

「フリッタータ、と言うんですか、このオムレツ」

「おれの家、イタリア屋だからさあ。ガキの頃からオムレツなんて言わねえの。フリッタータだね。

ほんとうはオーブンに入れて仕上げをするんだけど、今朝は省略」


ほら、と今野は次の卵を環にむかって差し出した。銀色に光るフォークの先で、卵とベーコンと玉ねぎがたまらない匂いをさせて輝いている。

そのフォークを持つ男と、同じように。


環はもう自分が何をしているのかわからない。

ただ黙って、今野が差し出す卵を食べつづけた。

やがて今野は大きな声で笑った。


「あんた食べっぷりがいいなあ、環ちゃん。なんかもう、どんどん食わせたくなってくるぜ」


環がハッとするとテーブルの大皿に盛られていた卵はほとんどなくなっていた。今野はにこにこしながら細長いパンを手にして割った。

かりっという高い音がして、パンが半分になる。今野はそれを環に差し出し


「グリッシーニもうまいよ。これは俺が焼いたわけじゃないけどね」


今野はどんどん環に食べさせようとするが、さすがに環のお腹がいっぱいになってきた。


「もう、はいりません」


と言って、今野に向かってぺこりと礼をした。


「美味しかったです。ほんとうにおいしかった。あの私、何もできなくてすみません」

「しょうがねえじゃん、その足だもん。ああ、もう立ち上がるなよ、片付けくらいすぐ済ませるからさ」


今野はそう言うと、身軽にテーブルから立ち上がった。環はいそいで


「……あっ、シンクの下に食洗器がありますから使ってください」

「ほんっと、よくできたキッチンだよなあ。このサイズでコンベクションから食洗器まで入っているんだ。いいよなあ、うちにも欲しいな」

「お家でもお料理をなさるんですか」

「うん。時間があれば。あと……」

「あと?」


環がそう尋ねると、今野はなぜかちょっとまぶしそうな顔をした。


「食わせてえがいればね――あのさ、環ちゃん」


はいと環が返事をすると今野は開きかけた口を一度だけ閉じ、また口をひらいた。

言うべきことを、切り替えたというふうに。

そして環に向かい


「DVDが、見られる場所はある?」

「DVD…?」

「俺さ、昨日の夜に気がついたことがあるんだよね。紀沙きさ奥さんが映画のシーンを絵にしていた、城見しろみ監督のことで」

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