第八十話 「いい子だから。ちっとだけ、邪魔すんなよ」

今野こんのはそう言うと密封容器からベーコンのこま切れを出し、弱火にかけたフライパンでじんわりとベーコンを焼き始めた。

ベーコンからは、めまいがしそうなほど濃厚な脂の匂いがした。たまきの鼻がひくひくとする。

それを横目で眺めて笑いながら、今野はスピーディな音を立てて玉ねぎをスライスしてはフライパンに放り込んだ。


ベーコンと玉ねぎが炒められていく。

玉ねぎに軽く火がとおったあたりで、今野はそれを別皿に移して卵をボウルに割り入れ始めた。

肉の厚い手で器用に卵を溶き、いったんわきに置くと使ったばかりのフライパンを洗い、あらためてオリーブオイルをたっぷりと入れた。

再び着火する。

環は目を丸くして、機敏な今野を見つめていた。


「もうちょいだな」


そうつぶやくと今野はテーブルのパンを取り、キチネットのコンベクションオーブンに放り込んだ。


「ホントはオーブンの予熱をしなくちゃダメなんだけど。環ちゃん、腹が空いているみたいだし」


今野は手早くオーブンのタイマーをセットして、続けて粗熱あらねつの取れたベーコンと玉ねぎを卵液と合わせ、ボウルの中に塩コショウ、パルメザンチーズをたっぷりと振り入れた。


「こいつは、俺の好み」


と言いながら最後に乾燥オレガノをボウルに入れると、今野はフライパンの前ですううっと、息を吸った。


「今野さん?」


環が不思議そうに声をかける。

すると今野が振り返り、ほんの少しだけ口を持ち上げて笑った。


「いい子だから。ちっとだけ、邪魔すんなよ」


突然、乱暴にそう言われて環はどきんとする。

きゅっと口角こうかくが持ち上がった今野の唇を見て、昨日、椎の木から落ちたあとに突然、今野にキスをされたことを思い出したからだ。

かっと、環の丸い身体のどこかが熱くなる。


しかし今野はそんなことはすっかり忘れ果てたように、すでに白い煙を上げ始めているフライパンをじっと見つめていた。

それから


「もういいな」


と言ったかと思うと、フライパンの中に卵液を流し入れた。

それからあとは、一気呵成いっきかせいだった。

たっぷりと熱いオリーブオイルが入ったフライパンのなかへ黄金色の卵液がおどりこみ、そのまま今野の手でかき混ぜられていく。

環の目の前で、みるみるうちに食材が“料理”に変わった。


「……すごい」


思わずそうつぶやくと、今野は振り返りもせずに背後のテーブルに用意してあった大皿を手に取った。

同時に、フライパンから形になりかけたオムレツを箸も使わずにひっくり返して、じゅっと最後の火入れをする。

それからコンロの火を切った。


できあがったオムレツはフライパンから皿に移され、環の目の前に置かれた。


「どうぞ」


今野はニコリと笑って、フレンチのシェフのようにうやうやしく環の前で頭を下げた。

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