第七十九話 フリッタータ

今野こんのは巨大な松ヶ峰邸の玄関先でかるがるとたまきを抱き上げ


「歩けるはずないよ。君はきのう俺の下敷したじきになったんだぜ。三メートルもあるしいから飛び降りたんだ」

「そうなんですけど、あの、あたし、太っていますから!」

「……はあ?」


今野は、目鼻のパーツがきゅっとおさまったキレイな顔立ちを環に向かってしかめてみせた。環はもう大汗をかきながら


「太っているんです、重いんですよ」

「重くねえよ」

「歩けます、立てますから。おろしてください」

「ヤダ」


今野は簡単に言って、環を抱き上げたまま歩き出そうとした。環はあわてて


「あの、だったら食堂をぬけて、その先へ行ってください。家族用のサンルームがあるんです」

「サンルームね」


と、今野は環を抱き上げて松ヶ峰家の巨大な食堂を抜けた。そのままガラス張りになっている小さなサンルームに入る。

ここは亡くなった松ヶ峰紀沙まつがみね きささとしたまきだけが朝食に使う場所で、テーブルと椅子のセットと小さなキチネットがあるだけの小さな部屋だ。


今野はそっと環を椅子に置くと、自分は身軽に玄関に戻ってすぐに大きなバックパックをもってきた。


「朝飯はしっかり食うほうかな、環ちゃん?」

「いただきます。あの、その中に食べ物が入っているんですか?」


環がそう聞いたとき、お腹がぐううっとなった。顔が真っ赤になる。

今野はてきばきとバックパックから荷物を出しながら、にやりとした。


「ははあ。腹が空いているね」

「すいません。昨夜、音也おとやさんに夜食を差し入れていただいたのが最後なんです」

「音也さんの差し入れって。あれ、夜の七時ごろだったろ? それから何も食べていないの?」


環はうなずいて


「この家のキッチンは一階にあるんです。私の部屋は二階ですから、階段を下りてキッチンへ行って、食べてからまた二階の部屋に戻るのは大変すぎて」


はあ、と今野は環に背中を向けてため息をついた。


「くそ、やっぱり昨夜も来ればよかった。音也のアニキがあんなことを言いやがったもんだから」

「おとやさん?」


環が不思議そうに尋ねると、今野はぶるっと身体をふるわせた。


「なあ、あのアニキはちょっと怖すぎねえ? 環ちゃん、よく平気だね」

「子供のころからよく知っている方ですから。それに音也さんは意味もなく怒ることはありませんし」

「俺にはけっこう意味もなく怒るけどね。まあ、昨夜のあれはちょっと違うか……」


今野は何かを考えているかのように、ざらっと自分のあごをなであげた。

それから立ち上がると、次々とバックパックから食べ物を取り出し始めた。


「とりあえず、うちにあるものを適当にかっぱらってきたんだ」


今野はキチネットの棚から白い皿を出し、そこにどんどんパンを乗せた。

細長いパンや長方形のクッションのようなパン。どれも香ばしい匂いがしていて、環の食欲をそそった。

最後に今野はバックパックから小さなフライパンと卵を取りだし、キチネットのコンロにおいた。そのわきに、オイルや密封容器を並べていく。

環はおどろいて


「今野さん、私、これで十分です」


と言ったが、今野は平気そうな顔つきで


「まってろって、五分もありゃフリッタータができるから」

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