3断章「白玉環の少女」

第七十八話 朝めしのデリバリー

大正時代に建てられたという松ヶ峰家まつがみねけは、古い古い洋館だ。

敷地は広大で間取まどりは複雑にみ、この屋敷で育った藤島環ふじしまたまきにとっても、時には巨大な墓所ぼしょのように感じられた。


よく手入れをされて豪奢ごうしゃで美しいが、静かすぎて広すぎて、何もない空っぽの墓所のよう。

とくにあるじの松ヶ峰聡まつがみね さとしも、同居している聡の親友・楠音也くすのき おとやもいない一人きりの夜は、たまきにとってひどく長く感じられた。


だから昨夜から夜のけるのが待ちどおしく、環は早朝六時にはもうベッドからねおきて、ゆっくりと捻挫ねんざした右足をかばいつつ階段をおりた。

朝食を支度するために、家族用のキッチンへ向かうつもりだった。


しかし環は二階にある自室から巨大ならせん階段を降りきったところで、もううんざりした。

いま環がいる場所はらせん階段を降りたばかりのところで、玄関と聡の事務所がすぐ近くにある。屋敷の奥に向かって応接間がもうけられ、続けて松ヶ峰家の数おおい親族がそろうときにしか使わない広大な食堂がある。

このあたりは、いわば松ヶ峰家の“公的ゾーン”だ。


そして環の行きたいキッチンは、広壮な屋敷をつらぬく木細工ぎざいくの廊下を延々と歩き続けた先にある。

空っぽの部屋部屋へやべやを抜けてひとりキッチンまで歩くのかと思うと、もうそれだけで、環の気持ちはえた。

どれだけ空腹でも二階の自室に戻ってベッドの上で座っていようか、と考える。


きのう聡の選挙スタッフである今野こんのをかばって三メートルの高さのしいから飛びおりたせいで環の右足首はまだずきずきと痛むし、捻挫した足首をテーピングで固定しているために歩きにくい。

どうしよう……と環がため息をついたとき、手にしたスマホが鳴った。


時間はまだ朝の六時だ。

聡から緊急の用事だろうかとスマホ画面を見た環は、ちょっと不思議な顔をした。画面には、聡の選挙スタッフである“今野”の名が表示されていたからだ。

環はゆっくりとスマホをつないだ。


「おはようございます、今野さん。あの、サト兄さんになにか?」

「聡さん? いや、そっちは関係ない。俺ね、朝めしのデリバリーに来たの。門の前にいるからさ、入り口のセキュリティを解除してくんない?」

「あ、はい」


と環は玄関まで足を引きずって歩き、パネルでセキュリティを解除した。

こうしておかないと今野が巨大な松ヶ峰家の門扉もんぴを押した瞬間にすさまじい警報音が鳴り響き、警備会社が急行してくる。

環がセキュリティを解除したかと思うと、たちまち玄関が勢いよくあいた。

早朝のひんやりする風とともに、百七十五センチの今野の身体が飛び込んできた。


「おはよう……っと、ダメじゃん、たまきちゃん。まだ歩いちゃだめだよ」


そういうと今野は肩にかついでいた巨大な荷物を松ヶ峰邸の床におろし、おろしたかとおもうと、今度はかるがると環を抱きあげた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る