第六十七話 「母あっての、松ヶ峰家でした」


「あのこ?」

「ほれ、あれだ、あの子だよ。紀沙きささんのめいっこの…そうだ”たまこ”だったか」

「たまき、ですよ…ちょっと足をひねりましてね。今回は留守番です」


と、松ヶ峰聡まつがみね さとしはコルヌイエホテルのバンケットルーム天井できらめくシャンデリアを眺めるのをやめて、隣にいる横井謙吉よこいけんきち禿頭とくとうを見た。

横井は人のよさそうな顔つきのまま、すこし離れた場所にいる知人に向かって気軽に手をあげた。

聡もチラリと同じ方向へ目をやり、相手が当選四回の”建設族”議員であることを確認した。

たしか、あの議員の地元では近々、大規模な高速道路建設が始まるはずだ…。


聡は殊勝しゅしょうげな顔つきで横井の隣に控えつつ、探るように横井の顔を見た。

しかし横井はにこにこしながら、口ではまったく関係のないことをしゃべった。


「亡くなった紀沙さんは、あの子をかわいがっとったな…あれで、いくつになる?」

「たまちゃんの年齢ですか?二十四才です」

「そろそろ嫁に出す時期だな。あの男は、隣県の建築会社に顔がくぞ。ええ男を紹介してもらうか」


さすがに聡も苦笑いをして


「今どき、二十代前半で結婚させるのは早すぎるでしょう。亡くなった母は支度したくを始めていたようですが…」

「お前の嫁にするか」


横井にそう言われて、聡はおどろいた。ここでも、なぜかたまきが聡と結婚することになっているらしい。

おおかた音也おとやが、横井の秘書である佐久さくあたりに話しておいたものだろう。


とにかく誰が見てもどこからみても、藤島環ふじしまたまきは嫁にするのにぴったりの女性に成長した、ということだ。

あの松ヶ峰紀沙まつがみね きさが手塩にかけて育てた少女は、つつましくおだやかでありながらも、しっかりした女性になった。聡にはそれが誇らしいが、環の結婚相手は聡ではない。

聡は軽く笑いながら


「あの子と結婚なんかしませんよ。たまちゃんは俺の家族ですから」

「家族なあ…」


と、横井はにぎやかなバンケットルームを眺めてつぶやいた。


「こうなったらもう、お前の家族はあの血のつながらん妹しかおらんわけだ。

いや、もともとお前の家はだったな。

お前と紀沙さんは血がつながっとらん、お前とあの娘っこも血がつながっとらん。それを家族として二十年も持ちこたえさせた…紀沙さんは、たいしたひとだったよ」

「母あっての、松ヶ峰家まつがみねけでした」


ぽつん、と聡もそう答えた。


「早くに夫に死なれて愛人の子供である俺を育てて。あの古い家と膨大な親族をひとりで切り回した母でした。

俺の選挙のために何十年も前から地盤固じばんがために走り回ったあげく、結局、選挙を待たずに逝ってしまった―――あの、先生」


聡は華やかなコルヌイエホテルのバンケット会場で、少しこわばった顔つきのまま横井を見た。


「一度聞いてみたいと思っていたんですが…母は、なぜ俺を松ヶ峰家に引き取ったんでしょう?」

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