2「松ヶ峰聡の、ひそかなプライドの問題」

第六十六話 ものを言うのはカネ

翌日の午後一時。

松ヶ峰聡まつがみね さとしは、政治上の”ボス”にあたる横井謙吉よこいけんきちとともにコルヌイエホテルの巨大なバンケットルームにいた。

あたりには保守派の国会議員たちがれをなし、三々五々に談笑していた。群れの中心には、このパーティの主催者である与党幹事長の今村いまむらの姿がある。


聡は今日、この幹事長に挨拶をするためにわざわざ名古屋から東京まで来たのだった。

選挙前から保守派与党の幹事長である今村に顔を見せておくことは、まぢかにせまった衆院選で必ず役に立つ。それが分かっているから、横井もゴリ押ししたのだろう。

そして今村も、名古屋で代々、保守政党の国会議員を輩出はいしゅつしてきた”松ヶ峰家”の名とカネのために、聡に会うことにした。


聡のような若造わかぞうが巨大保守政党の幹事長に挨拶できたのは、ひとえに横井謙吉のひそかな政治力と、松ヶ峰家の財力のわせわざだ。

今村には、たとえみずからの主催する政治資金パーティであっても、まだ与党の公認候補にすら正式に決まっていない若い男に無駄な時間をついやす義理などどこにもない。

結局、ものを言うのはカネだ。


果たして秘書の音也おとやは今回のパーティのためにいくら”積んだ”のだろう、と聡は考えた。しかしすぐに頭を振り、


『音也のことだ、必ず支払った金額以上のものを手に入れるはずだ。いや、もうとっくに手に入れているかもしれない』


と思いなおした。

有能な秘書でもある楠音也くすのき おとやは、政治の世界での泳ぎ方を熟知している。聡は音也の命じるままに進めばそれでいい。

そのために、音也は松ヶ峰家にやとわれている。

選挙に勝って衆院議員になることが聡と松ヶ峰家の最終目的なのだから。


聡がそんなことを考えている隣で、横井はほそイタチのような顔をなでおろしてつぶやいた。


「さて、これでだいたいのところへはお前を引きまわしたぞ」


そういうと、横井はせかせかと煙草をくわえた。隣に立つ聡が、すぐにチャコールグレーのスーツからライターを取りだし、横井の煙草に火をつけた。


「先生、禁煙されていたんじゃなかったですか。その、あたらしいカノジョが煙草ぎらいだから」


聡がそう言うと、ふむん、と横井は小さな鼻をうごめかしてうなった。


「あの女な、切れたわ、もう」

「え、早くないですか?一年がかりで口説くどき落とした”ニシキ”の女の子でしょう」


と、聡は名古屋の繁華街の名を挙げて尋ねた。横井は憮然ぶぜんとした表情で


「あの女にはえらいこと金をかけたのに…嫁に見つかってご破算はさんだ」

「そうですか…奥さまに…」


聡は気の毒そうに横井を見た。横井はハイライトをくわえたまま、すうっと視線を周囲にすべらせた。

こういうときの横井の顔は、油断もすきもない。

何を考えているのか聡にもわからないが、いずれにせよ、ひといことばかりを考えているはずがない。

政治家とは、そう言うものだろう。考えていることが手に取るようにわかるようでは、とても腹芸も裏芸もこなせない。

松ヶ峰聡が踏み込もうとしているのは、海千山千うみせんやませんの男たちがしのぎを削る戦場なのだった。


俺は政治家に向いていない、ともう何百回も考えたことが、また聡の脳裏をよぎった。

そんなとき、ふいに横井が聡に言った。


は、連れてこんかったのか」

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