第五十四話 きみに恋したのが、こんな男でごめん
ピンクベージュのフェラガモで座っていた木の枝を蹴り、三メートルの高さの空中に浮かんでいる
椎の木から落ちる過程のどこかで、環が位置を入れ替える。
今野が気づいたときには、目の前にエメラルドグリーンの芝生が迫っていた。
声を上げるひまもなく、どさっと、二人は地面に落ちた。
「いてえ…」
今野が思わずうめく。うめいてから、ハッとした。
いや、違う。
痛くない。
三メートルの高さの木から落ちたにしては、今野の身体は痛みを感じていなかった。
ということは?
「うわっ!環ちゃん、大丈夫か?」
今野があわてて地面を見ると、そこには藤島環のやわらかい身体が今野の百七十センチの身体に押しつぶされるように下敷きになっていた。
「たまきちゃん!」
とびはねるようにして今野は環から離れ、状況を確認しようとした。かるく環の肩に手をやり、ゆさぶってみる。
「環ちゃん、大丈夫か、救急車を呼ぶ?」
何度目かの今野の問いに、ゆっくりと環は目をひらいた。
わらっている。
「だいじょうぶ、です。ちょっとびっくりしただけ」
「大丈夫なはずがないよ、俺の下敷きになったんだぜ?ああ…起き上がれる、環ちゃん?」
環はゆっくりと身体を横に向け、それから起き上がった。真っ白なシルクのシャツに、緑色の芝生のシミがついていた。
ボブスタイルの髪にも小さく柔らかそうな耳にも、芝生のカケラがついている。
まるで妖精の女王を飾るエメラルドのカケラのように。
環の顔のまわりには、いっぱいの草がついていた。
「へいきです。ごめんなさい、私が余計なことを言ったから今野さんが落ちてしまったんですね」
そんなわけ、ないだろ。
今野はそう言いたいが、今は何かがのどを
あの今野哲史が。
どんな状況下にあっても、
今野はわずかに口をあけた。彼の言葉を待つように、環が首をかしげる。
それは、今野のために用意されたわけじゃない可憐な小鳥のすがただった。
『きみは俺に似つかわしくない』
という言葉の代わりに、今野はしずかに身体をかたむけた。
くちが、ふれる。
藤島環の唇は、今野が想像していたよりもはるかに柔らかく、はるかに温かかった。今野はその口を割って舌で環を知りたいと思いながら、そこまでは踏み切れない。
ただ、唇を合わせて環の香りをかいでいた。
きみに恋したのがこんな男でごめん、とひたすらに今野哲史は思っている。
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