第四十八話 「このシャツ、音也さんのですよね」
家族である
「頼む、頼むよ、たまちゃん。来週の東京、一緒に行ってくれ。俺は
「はあ、そうでしょうね」
環はぼんやりと答えた。なにしろ
しかしその”当たり前”に耐えられないのが、今の聡だ。
聡は目の前の環を
「今回は日程の都合で、最終の新幹線で行く。たまちゃん、頼むよ。君はただ、俺と音也のあいだに座ってくれればいいんだ」
「それは…いま一番やりたくないことです。最近のサト兄さん、音也さんといらっしゃるとピリピリしているんですもの」
「…え」
聡は絶句した。
「そ、そうかな」
「そうです。だいいち、私が同行するって音也さんは
環の口から音也の名が出た途端、聡の勢いは目に見えてしぼんだ。うつむいて、ぼそぼそと答える。
「いやその、音也には、まだ」
「まだ?」
「でも、あいつは君に甘いし、一緒に行くのは嫌とは言わないはず…」
「では音也さんがよろしければ、東京までおともしましょう」
環が譲歩の気配を見せてきたので、聡は飛び上がるように起きて、一気に環にたたみかけた。
「そう!じゃあ決まりだな。あ、その日はコルヌイエホテルに泊まるから、たまちゃんも宿泊の用意をしておいてくれよ」
聡は自分の言いたいことだけを言うと、環がしかめっ
とっとと着替えて、音也の命じたとおりに地元商店街の夏祭りへ行かねばならない。
選挙活動は、有権者に顔を売ってなんぼだ。
聡自身も
名前でもポスターでもなく、生きて歩いて握手をする候補者にこそ、票が投じられるのだ。
だから今の聡は、有能な政治秘書である楠音也が
”
それを広く知ってもらうことが、これから政治家になろうという聡の最初の仕事なのだ。
そんな大事な顔見せの仕事を後まわしにした聡に、背後にいる環がちょっと怒ったような声を出した。
「着替えるんですか?どれを着るんです?」
「クローゼットのハンガーにかかっているシャツとチノパンを出してくれ、たまちゃん。今朝、音也がそろえていった服なんだ。カッコ悪いけど、他のものを着ていったらあいつに殺されるぜ。イメージ戦略だかなんだか知らねえけどさ」
聡がぶつぶつ言いながら新しい下着を取り出していると、背後でふと空気が固まったような気がした。
「たまちゃん?」
ふりかえった聡は、環がぽっちゃりした手でベッドわきのバスケットから濃紺のシャツを取り上げたのを見た。
一気に、聡の血がひいてゆく。
環は柔らかそうな唇を白くして、濃紺のコットンシャツに目を据えたまま聡を見ずに、つぶやいた。
「このシャツ、音也さんのですよね」
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