第四十五章 絵と映画と、ロレックス

一階のきれいに整った部屋とくらべると、二階のアトリエは乱雑をきわめていた。すさまじい量の色彩と物であふれていて、さとしは思わずひらいたドアから一歩足を引いた。

たまきが笑いながら、先にアトリエに入る。


「大変な散らかりようでしょう?でも、まずはサト兄さんに見ていただこうと思って、前回は片付けないまま、残しておきました」


聡はそっと亡母のアトリエに足を踏み入れた。

壁という壁には仕上げの終わった絵や製作途中の絵が立てかけてある。この部屋だけで三十枚以上の絵があるだろう。

聡はざっと絵を眺めてみた。

アジアらしい風景の手前に若い母子をえがいたもの。色あざやかな異国風の民族衣装をまとった少女の横顔の絵などが、所せましと並べてあった。


聡は部屋を歩き回りながら、キャンバスのすき間からDVD付きのテレビを見つけた。テレビの隣には、十数枚のDVDがきちんと並べてある。

DVDの背をぼんやりと眺めていた聡は、すべておなじ監督の映画だと気がついた。


「監督”城見龍里”…たまちゃん、君はこの人を知っているか?」


すると環は、肩にかけていた大きなバッグからパソコンからプリントアウトしたらしい紙が入っているクリアケースを取り出して、聡に差し出した。


「この前きた時から気になったので、調べました。城見龍里しろみりゅうりさんは、いろいろ外国の賞を受賞なさっている映画監督です。それから、このアトリエにある絵はすべて城見監督の映画の場面なんだって、今野こんのさんがおっしゃっていました。

あのかた映画にくわしいんですよ。この資料も今野さんに作っていただいたんです」


聡は立ったまま、資料をめくった。

城見龍里しろみりゅうり、六十五才。

映画作家としてのキャリアはながく、デビュー以来すでに四十年が経っている。初めは低予算のアクション映画を撮っていたが、しだいに家族を主題に据えたアクションサスペンス作品を作るようになり、海外での評価を得た。

現在は香港ホンコンに拠点を持ち、活躍の場も海外が多いようだ。


今野の用意した資料には、白黒コピーの写真もあった。

雑誌からコピーしたらしい写真には、丈の短いピーコートを着た男が椅子に座っていた。おだやかな表情で、映画監督というよりふつうのおじさんみたいだ。

聡は資料をもったまま、首をかしげた。


「映画ねえ…おふくろは映画なんか見なかったよな。たまちゃんはこの監督の映画を見たことある?」

「なかったんです。昨日DVDを借りて見ました」

「ここのDVDを持って帰ったのか?」

「いいえ、今野さんからお借りしたんです。あ、サト兄さんも見ますか?迫力があってスピーディなサスペンス映画でした」


ふん、と聡はいいかげんに返事をした。さっきから環がしきりに今野のことばかり言うのが気に入らない。

聡は腹立たしさにまかせて乱暴にアトリエを横切ろうとして、ガツンと足を小さな机にぶつけた。


「痛ってえ…うん?机か」


ほとんど画材に埋まっている机には、小さな引き出しが二つあった。聡は片方の引き出しを開いた。

中には何もない。

そのまま引き出しを閉めようとすると、かたい音がして何かがころがり出てきた。白いリネンのハンカチに包まれた小さなものだ。


聡が取り上げてリネンをはがしてみる。

中には男物らしき腕時計が入っていた。丸い大きなフェイスに黒い皮バンド。文字盤にはロレックスとある。

またしても聡は首をひねり、環を呼んだ。


「たまちゃん、君この時計を知っているか?」

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