第四十二話 てめえは俺のおふくろの何だったんだ

それから、三木みきが電話を切る気配がした。

さとしはゆっくりと弁護士事務所のドアまで足音を忍ばせて戻り、次にわざと大きな音を立ててドアを開閉した。

大声で三木を呼ぶ。


「三木先生!三木先生!」


ひょいと、三木のつるのように細ながい顔が奥の部屋からのぞいた。


「あれっ、聡くん?」

「そうです、ちょっと聞いておきたいことがありまして」

「ん?なに?」


三木はたった今の電話などなかったように、とぼけた顔をしてみせた。

聡は内心で『三木先生もけっこうな役者じゃねえか』と思いつつ、こちらは単刀直入たんとうちょくにゅうに尋ねた。


「おふくろの財団法人は、設立のために理事が六人必要だっていっていましてたよね?たまちゃん以外の五人の理事は誰なんです?」


ふっと三木の顔に安堵あんどの色が浮かんだ。そんなことなら簡単だと言わんばかりに口を開く。


「気になるなら教えておくよ。ええと、まず聡くん。それから私と税理士の橋本はしもと先生、亡くなられた紀沙きささんのご友人の北方きたかたさん―――」

「ああ、そうでしょうね。おふくろがなにかをたくらむのなら、まず御稲みしね先生を味方に引き込むはずなんだ。

うん?職員は六人だよね、もう一人はだれですか?」


聡が首をひねっていると三木は笑い声とともに言った。


「なんだよ、聞いていないのか。ま、今は忙しいんだろう、も。だからきみに伝えるのを忘れちゃったかな」


ひやっと聡の背筋せすじ寒気さむけが走った。ごくりと、つばを飲んでから三木に向かって平気そうな顔つきで、カマをかけてみる。


「ああ、そうだった、聞いていましたよ。最後のひとりは”楠音也くすのき おとや”、俺の秘書でしょう」


そうだよ、と三木は当たりまえのような顔で答えた。


「一年くらい前、紀沙さんが初めて財団の話を始めたときから、もう彼は理事に決まっていた。紀沙さんは、よほどあの子を信用していたんだね」

「あいつは学生時代からおふくろのお気に入りでしたから。じゃあ、これで」


聡は三木事務所の扉を再び閉め、暗いビルの階段をおりはじめた。その手のひらは、ヌルヌルするほど汗をかいている。


音也、てめえは俺のおふくろのだったんだ。


今すぐ走っていって音也を問いつめたい気持ちを、聡は必死に押し殺す。いま音也の顔を見たら、自分が何をするのか想像もつかないからだ。

ただ、ついさっき藤島環ふじしまたまきが三木と聡の前で言った言葉が、まったく別の意味を持って聡に聞こえてきた。


『あんなに長いあいだおばさまと一緒にいたのに何も知らされていなかった』


それは、松ヶ峰紀沙の一人息子にとっても同じことだった。

俺はおふくろのことなんて何ひとつ知らなかった。おまけに、親友だと思っていた男とおふくろの関係にも。

聡はめまいを感じながら、ひとつずつ階段を下りていった。


古ぼけたビルの暗く狭い階段が、永遠に続いているような気がする。

この階段は、きっと松ヶ峰紀沙まつがみね きさの暗い秘密につながっている。

それは、聡が金輪際こんりんざい知りたくないと思っている秘密だ。



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