第三十五話 「おれについて、よく知っているんだな」

「なぜ?」


と、アウディを運転しながら聡に鋭く尋ねかえしてくる音也おとやは、なぜか自分の真っ白なワイシャツの胸ポケットに手をあてていた。

さとしはそのしぐさを横目で見つつ


「昨日、事務所にお前あての荷物が届いたよな。あれ、御稲みしね先生からだろ。箱いっぱいのシガリロなんて、俺のまわりであんなものを吸うのは御稲先生くらいしかいない」


音也は押し黙り、日ざしの中に白い横顔を浮かせている。

こういう表情を始めたら、音也はてこでも動かない。つきあいの長い聡は嫌というほど知っている。


音也もまた、聡に対してかくしごとを持っている。

亡き母といい音也といい、今の聡のまわりには秘密を持っている人間ばかりがいるようだ。

ひょっとしたら、こいつも何か持っているのか?と聡は助手席にのんきそうに座る今野哲史こんのてつしのつるりとした顔を眺めた。

そしてすぐに、こいつには秘密はなさそうだ、と安心する。


裏も表もないような今野の顔を見るだけで、最近の聡はほっとする。

それから、目線を強くして運転席の音也を見た。


「お前、御稲みしね先生となぜ会ったのか、俺に理由を言いたくないんだな」

「単なる挨拶あいさつだよ」


さりげない口調で、音也が答える。

車は最後のカーブを曲がり、もう目的地である横井謙吉よこいけんきち事務所の目の前だ。

聡は車が止まりかけるのを感じて、いらだたしげに運転席の秘書をにらみつけた。


「お前が目的もなく人に会うもんか。御稲先生もな」

「おれについて、よく知っているんだな」


音也は、じわりと厚みのある笑いをした。それは何かを隠しているようでいて、隠し切れていない。

こんなふうに音也は時々、かたいよろいにおおわれた中からふいに素肌をみせる。

そのすきが、今の聡には息苦いきぐるしい。


どんなに長く一緒にいても、聡は音也に一ミリも近づいていない気がする。

伸ばした手から、するりするりと音也の影が逃げる。聡をあざ笑うかのようだ。

だが、たとえどんなに自分がみじめに思えても松ヶ峰聡まつがみね さとしは音也から離れられない。

自分の隣に音也を置いておけるなら、何を投げ出してもしくない。

なけなしのプライドも将来も、他人の思惑おもわくも。


ただ、音也がいればいい。だがその一言は聡の口から絶対に出てこない。


「お前のことなんか、何ひとつわからねえよ」


聡はふてくされてバックシートに沈んだ。音也はちらりと聡を見て微笑わらった。


「おまえに、知られたくないこともある」


音也の柔らかい声が、そう言った。

聡はますますアウディの後部座席に沈み込む。

この恋は、どこをどうひねっても行き先が見えない。



★★★

横井謙吉は、北方御稲きたかたみしねに言わせると「ほそイタチ」だそうだが、地元では人望の厚い参議院議員だ。

議員としてすでに四期当選し、県内の若手議員の勉強会も主催している。実績もあり保守派のなかでそれなりの力を持っている政治家だ。


松ヶ峰聡まつがみね さとしは子供のころから母親である紀沙きさに連れられ、西区の横井事務所に出入りしていた。

高校に入ってからは週に二回、無給スタッフとして事務所に通い、卒業後はなおさら秘書のように、横井の小さな身体について歩いた。カバン持ちだ。


聡にとっては政治上の親も同然だし、横井もそのつもりでいるらしい。

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