第十七話 よってたかって政治家に

北方御稲きたかたみしねは、一本のシガリロを吸うのに十五分から二十分ほどかける。

シガリロというのはごくごく細い葉巻で、紙巻きたばこのように忙しく吸わず、時間をかけてゆっくりと煙を口の中で転がして吸う。肺の中まで煙を吸い込まずに、口の中で楽しんだ後、ふわっと口か鼻から吐き出すから時間がかかるのだ。


聡の記憶にある限り、北方御稲はずっとこのシガリロを吸っていた。

北方は、ふだんは身体がいくつあっても足りないほどに忙しいくせに、シガリロを吸うときだけは座ったまま動かない。

吸っているあいだは電話にも出ず、人が来ても応対しない。


『たとえ隣家が火事になっても、これが終わるまではあんたは逃げないつもりでしょう?』


と、御稲とは有名私立学校の小学部からずっと一緒だった松ヶ峰紀沙まつがみね きさは、よくそう言ってからかったものだ。

どういう経緯で御稲がこんな煙草を吸い始めたのか、さとしも知らない。

いずれ、御稲の数多い男たちのだれかが持ち込んだものだろう。


聡の記憶にあるかぎり、四十代から五十代にかけての御稲のそばには、常に異国情緒のある男たちが座を占めていた。

年上の男、若い男、年齢の知れない男。

北方御稲はどの男もまるで手の中のシガリロのようにのんびりとたのしみ、味わいおえると未練もなく捨てた。

吸い終わったシガリロを始末するように。


北方御稲がシガリロのように断ち切らなかった人間関係は、松ヶ峰紀沙だけかもしれない。

そして御稲は、紀沙が本気で心を許していた唯一の友人だったのだ。

聡、と御稲が呼んだ。


「あの子は、紀沙が死んでからちゃんと泣いたか」

「たまちゃんのことですか?精進落しょうじんおとしの時に、少し泣いていました。それ以来、俺の前では泣きません」


ちっと舌打ちをした御稲の引き締まった顔が、かすかにゆがんだ。


「困った子だね。オヤが死んだんだ。ちっとくらいタガをはずして泣いてもいんだ」

「しっかり者なんですよ、俺の妹分いもうとぶんはね」


ばか、と御稲は男のように細い葉巻をくわえたまま、聡に言い返した。


「お前が頼りないから、環は泣けない。そんなことにも気づかずに、政治家になろうってのが無理なんだ」


聡はむっとして


「どうせ俺は政治家になんか向いていません。向いていないっていうものを、みんなで、ってたかって政治家にしようとしている途中ですよ」

「―――それが、選ばれた人間の責任だとは思わないのか」


とんと、御稲のしなやかな指がシガリロを口元からひきはがし、灰皿に置いた。


「お前は悪い子じゃない、聡。今度の選挙だって一生懸命につとめているつもりなんだろう。しかしね、人の気持ちに鈍感っていうのは、おやま大将たいしょうになろうって男には致命傷だよ」


お山の大将、という言い草に思わず聡は笑った。しかし御稲は鋭い表情をピクリともゆるめずに言い放った。


「大将は、がいてナンボだ。用意された神輿みこしにだまって乗っかってるだけじゃ、お前は一ミリだって成長しないよ。人って言うのは、てっぺんが気を使って金を使って手間てまを使って、それでようやく動いてくれるもんだ」

「御稲先生、くわしいですね」


聡が驚いてそう言うと、御稲は顔を上げてゆるく立ちのぼるシガリロの煙を眺めていった。


「昔ね、お山の大将になりたいって男としばらく一緒に暮していたのさ」

「知りませんでした」

「お前が知っているものかよ。生まれる前の話だ」

「ショックだな。俺の知らない御稲先生の男なんてね。そのひと、今はどうしているんです?」


聡の言葉を受けて、北方御稲の瞳がきらりと光った。

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