第十四話 持つべきものは、友

本郷ほんごうの叔父の家では、ほのかに夏の気配を含んだ風が流れていた。

松ヶ峰聡まつがみね さとしはかすかに鼻をひくつかせて、医者の家に根強くただよう消毒アルコールの匂いを打ち消すような、夏の初めの匂いをかいだ。

まだ四月だが、季節は確実に夏へ向かっている。

聡はまっすぐに顔を上げて叔父を見た。にこりと笑った。


「半分だって、俺がになっただけもうけものでしょう。あとの半分は、俺の有能な選挙参謀が何とかしますよ」


だだっぴろい和室でたくをはさんで聡と向かい合っていた叔父は、わざわざ大きな音を立てて鼻をかんだ。

じろっと、小さな身体から聡を眺めおろす。


「まあそんなところだろうと思ったわ」


とつぶやくと、たちまち涙の乾いた目で、聡ではなく楠音也くすのき おとやを見た。


「わかった。”吉松会きっしょうかい”の票は、わしがまとめる。それでも足りん票は、お前らがかき集めにゃならんからな。それから」


叔父は続けた。


「今、本邸に住んどる紀沙きささんの親戚の娘な、あれはいつまでもあの家に置いとけんぞ。昨日も”白壁しらかべ”の姉さんがうちに来て、ぶつくさ言うとった。もう三日もしたら紀沙さんの初七日しょなぬかがあって、それが済んだら本邸に泊っとる親族もおらんようになるだろ。

そんであの家に、聡とあの娘の二人しかおらんのは良うないっちゅうてな」

「はあ?」


聡はおもわず玉露ぎょくろを鼻からふきだした。

叔父は何を言っている?

しかし叔父はしごく真面目な調子で、禿頭とくとうからずり落ちた円い帽子を丁寧にかぶり直しつつ、聡にもう一度言った。


「お前の選挙前にが出てはいかん。あの娘に行くところがなければ、とりあえずうちに置いてやる。早急によこせ」


聡が言い返そうとした時、背後から音也の声がした。


「失礼ながら、たまきさんにはしばらくこのままご本邸の取りしきりをお願いできないでしょうか。突然のことでしたから、ご葬儀のあとがきちんと収まるまでは、このままがよろしいかと」


出すぎたくちですが、と音也は言葉をひきとった。

叔父は音也の言葉に納得しながらも、まだためらっている。


「しかしあの家に、あの娘と聡が二人きりっちゅうのは……」

「それでしたら、いずれ私がご本邸に引き移ることになっておりましたので時期を繰り上げましょう。本日からでもご本邸のはしにお部屋をお借りして、住むことにいたします」

「そうか。そのほうが何かとやりやすいなあ」

「はい。いよいよ選挙もしせまってきたことですし」

「ほんじゃまあ、あんたにちっと無理を聞いてもらおか。聡、”つべきものはとも”だな。お前が感謝せにゃいかんぞ」


聡は背後の音也を振り返ることもできずに、快い香りのする畳の上に、べたりと座りこんでいた。

立ち上がる気力さえ起きない。


音也がうちに来る?

姿を見るだけで声を聞くだけで聡の身の内がふるえるほどに恋しい男が、おなじ家にむことになる?


いやな汗が、聡の背中を濡らしていく。

気が狂いそうだ、と松ヶ峰聡は目を閉じた。


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