第十三話 半分は本気

松ヶ峰聡まつがみね さとしの叔父は、若い甥の殊勝しゅしょうな態度に気を良くして、わずかに涙ぐんで答えた。


「急なことだったからなあ、おまえもびっくりしただろう、聡。しかし紀沙きささんものわるいときに亡くなったもんだ。次の選挙まで半年くらいしか残っとらんじゃないか」


聡ははい、と短く答えた。叔父はしばらくうなっていたが、やがて


「それで。選挙のほうは、どうなっとる?」


と二重になったあごをしゃくって、聡の後ろに控えている楠音也くすのき おとやに尋ねた。

音也は丁寧に一礼してから身体を起こしたらしく、聡の背後から滑舌かつぜつのいい政治秘書の言葉がよどみなく流れ始めた。


「これから本格的な準備に入るところです。初めてのことですので、なにもかも後援会の”吉松会きっしょうかいだのみの選挙戦になります。松ヶ峰まつがみね先生にはこれから何かとご助言をいただきにまいりますので、何卒なにとぞよろしくご指導ください」


音也の深いバリトンの声を聴きながら、聡はまるで歌舞伎役者かぶきやくしゃ口上こうじょうみたいだ、と思った。

そして音也と叔父が本格的に票読ひょうよみについて話しはじめると、聡はもう手持無沙汰てもちぶさたのあまり、卓上の和菓子を三つばかり口に放り込んだ。そのまま玉露ぎょくろに手を伸ばす。


その間も音也と叔父の会話は続いていた。やがて聡の意識は次第しだい散漫さんまんになり、あやうくあくびをするところだった。

そんな聡に、叔父がぎろりと目を光らせる。それから音也に向かい


「まったくなあ。あんたはずいぶんなキレモノのようだが、かついどる神輿みこしじゃあ、骨折損ほねおりぞんみたいなもんだな。おい聡、紀沙さんが亡くなって、これからはおまえが松ヶ峰本家の総領そうりょうやのに。しっかりせんか」

「俺がおじさんぐらいしっかりしようと思ったら、あと四十年はかかりますよ」


びなのか皮肉なのか、自分でもわからない返答をしているうちに、聡はむらむらと腹が立ってきた。

そうだ、どうせ俺は政治家になんか向いていない。

だが松ヶ峰本家の男が聡ひとりしかいない今、聡は政治家になるしかない。

松ヶ峰聡は、家を継ぐためにこれまで育てられてきたのだから。


聡は、がちゃんと乱暴に玉露の入った茶碗を卓に置いて、いきなり座布団ざぶとんをはずして土下座した。

ひたいを畳にこすりつける。

最近取りかえたばかりらしい畳からは、香ばしい青い草の匂いがした。


「おじさん!俺が頼りないのは百も承知ですが、ここは亡くなった母にめんじて助けてください。松ヶ峰の男が選挙に出て”負けました”なんて、殺されたって言えません。それが松ヶ峰の意地でしょう。死ぬ気でやります、おじさんも俺をきたえなおしてください」


そう言いきって聡が頭を上げると、正面に叔父の顔が見えた。いつのまにか叔父の小さな頭にのせた丸帽子がずり落ちてきている。

よくよく見ると、叔父は涙ぐんでしきりに手で鼻をこすっているようだ。


「聡、よう言うた。それだよ。それが松ヶ峰家の誇りだろう。いや、わしには分かっとった。お前にはたしかに兄さんの血が入っとる。いつかお前も目が覚めると思っとったよ」


叔父は大きな音をたてて鼻をかみ、しかしティシュのすき間から厚ぼったい目で聡をじろりと見た。


「まあそれもお前が本気で言うたかどうか…どっちだ、聡」

「半分は本気ですよ」


聡もけろりとして言い返した。

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