第十一話 男とキスするのは、致命傷

ふわりと音也おとやのうすい唇がさとしの唇に重なった。

ついさっきまで聡と同じ煙草を吸っていた音也のくちは、外国煙草らしいスパイシーな匂いがした。

するっと、音也の舌がはいってくる。

聡は一瞬身体をこわばらせ、すぐに音也をはねのけた。


「てめ…っ、一体何のつもりだ!」


聡に押しのけられた音也は、黙って笑っていた。まるでいたずらが見つかった子供のような、悪びれたところは少しもない笑いだ。

聡は混乱する。


「なん…なんだよ、音也」

度胸どきょうづけだよ」


音也は手にしていた煙草をもう一度口元にやり、ゆっくりと吸いつけた。

聡の目は、ついさっきまで自分のくちの上にあった親友の唇から離れられない。

小さなビートルの車内が静かになるのが怖くて、聡は機械的に音也の言葉をくりかえした。


「ど、どきょうづけ?」

「もし“本郷ほんごう”でお前ののこりの従姉いとこと結婚するハメになったり、あのろくでもない病院を継がされることになったりしたら―――を思い出せよ。

男とキスなんてみっともない事だってやれたんだ、結婚や病院くらいどうってことないだろ、な?」

「ば…バカじゃねえのか。そんなことしなくても、度胸くらいある!」


聡は憤然と車のエンジンをかけ直そうとしたが、手が震えているのか、きれいにかからない。どんどん汗が噴き出してきて、ハンドルがすべりそうだ。

音也のほうはのんびりと煙草をふかしながら、外を見ている。

配置の完璧な二十七才の美貌が、四月の青空に浮かび上がってまるで絵のようだ。


聡は何もかもを忘れて、一瞬だけ、恋する親友の横顔に見とれた。

美しい。

性格がゆがんでいようが、聡に対して冷酷非情だろうが、楠音也くすのき おとやは絶対的に美しい男だった。

ふっと音也がなだらかな二重ふたえまぶたの目を聡に向けた。


「サト、運転を代わってやるぜ?」

「いらねえよ!」


ようやくエンジンがかかる。聡は少しスピードを上げて古ぼけたビートルを走らせ始めた。

隣の助手席で、音也はのんびりと言った。


「運転に気をつけろ、聡」

「俺は安全運転だ」

「こんなところで警察につかまってもらっちゃ困るんだ。政治家には交通違反だって致命傷だぞ」

「男とキスするのは致命傷にならないのかよ」


思わず聡がそう言い返すと、音也の返事が一拍いっぱくおくれた。


「―――音也?」


聡は運転しながら隣を盗み見た。音也がわずかにった鼻をひくつかせて答える。


「致命傷だよ」

「なにが」

「セックススキャンダル。有権者はクリーンな候補者が好きだからな。覚えておいてくれ、セックススキャンダルは絶対にだめだ」


そう言う音也の声がひどく切迫していて、聡は思わず隣を見た。

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