第七話 隠しそこねた秘密

松ヶ峰聡まつがみね さとしは、肉の厚い身体を少しひねってからつぶやいた。


「じゃあ、どこの鍵なんだよ。あっ、遺言の入っている金庫の鍵とか?」

「おばさまのご遺言なら、二年前にサト兄さんが弁護士の三木みき先生のところに届けたでしょう。お忘れですか」


環に即座にそう言われて、 聡は頭をかいた。

最近の環と話していると、聡は本気で母親が生き返ってきたように感じる。しかもくちうるささが倍増ばいぞうして。

聡は理由もなく咳払せきばらいをしてから環に答えた。


「まあとりあえずこの鍵は、たまちゃんが保管していてくれよ。どこの鍵か知らないが、なくなっても困る」


環はあらためて聡から鍵を受け取り、ぽわんと柔らかそうな手のひらにのった鍵をしげしげと見つめた。

やがて小さな声で、心細こころぼそそうにつぶやいた。


「なんだか、この鍵がこわい気がします」


同感だな、と口に出さずに聡も思った。

そこにあるのは何の変哲もない小さな鍵だが、由来ゆらいがわからないというだけで、聡と環をたまらなく不安にさせた。

どうも聡の亡母には隠しそこねた秘密があるらしい。

それも、どこか馥郁ふくいくたる花の香りがする秘密だ。



★★★

その日、聡は午後から秘書の楠音也くすのき おとやに連れられて、名東区めいとうく本郷ほんごうにある叔父の家に向かった。

本郷の叔父は聡の亡父の末弟にあたる人だ。

末弟のくせにほかの親族の誰よりも口うるさく、早くに父を亡くした聡の父親代りを勝手に自任じにんしている。

長年ずっと高級住宅地でもあるほしおかで大きな産婦人科を経営していたが、同じく医者になった娘が独立したのを機に病院をそっくりゆずりわたした。


それ以来、本郷の叔父は聡に対してますます口やかましくなり、それは今回の聡の選挙騒動でピークに達しようとしている。

むっとした表情のまま聡が古いビートルを本郷に向けて走らせていると、隣の助手席から水気みずけのあるバリトンの声がした。


「本郷についたら、その仏頂面ぶっちょうづらは消せよ、聡」


助手席に座った楠音也くすのき おとやが、骨の長い指に火の付いていない煙草をはさんだまま、そう言った。

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