第十話:開く視界

 結論から言うと、視界は雲の上まで動かせたし、空間が開いていれば室内への移動も支障なかった。更には聴覚も移動できた。しかも聴覚の方はレンフロが知覚したことのある場所なら壁を超えることも可能だった。ちなみに嗅覚は元々あった位置から動かせなかった。

「素晴らしいですね陛下! この城で陛下に隠し事など誰もできませんね!」

 そこまで試したところで、興奮していたアンネリザがかくりと首を横に倒して動きを止めた。操り人形の糸が切れたような動きで、レンフロは少し驚いたが、あまり表情には出ないため、気付かれない。

「…そういえば、陛下はお食事はどうされているのですか? 首を戻されるのですか?」

「ああ、私は、あまり空腹は感じない。首を据えて朝食を摂った後は食べずに過ごす」

 首が傾いたまま大きく目が見開く。少し怖いなと思ったがそれを口に出すレンフロではない。

「え、一日に一食、ですか? それだけで毎日働いていらっしゃるのですか? 陛下の活動効率、素晴らし過ぎますね。私、朝も昼も夜も食べておやつと時々夜食も食べますよ。その上でだらけて働かない日だってありますし。陛下働き過ぎなのではないですか? 大丈夫ですか? お疲れになったりするのでは…あっ、そういえば精霊は眠らないとも聞きます。まさか陛下、お休みになることも…」

「いや、夜になれば眠る」

「良かったです」

 一人で激しく盛り上がり、安心しましたとほっと肩から力を抜く姿に、思わず笑ってしまう。

「きっとアケチの姫君は、力一杯生きているからだろう」

 自分の仕事の多くは前例に従って大して考えずに決まることも多い。一食が労力に見合っているのだと、自嘲気味に思う。目の前で、瞳を輝かせながらこんなにも楽しげに生きているアンネリザを見れば、なおのこと、自分がどれだけ日々をこなしていただけかが解る。

 褒められていると思える言葉に快活な笑い声で、不快さなど感じなかったが、ただ不思議できょとんとしてしまう。

「あの、生きていくのに、力を使わないのなら、何に使うのですか?」

 力一杯生きる。それはアンネリザにとってあまりにも当たり前のことだった。というより、生きている以上力を使うのは生きていくこと以外に無いだろうと考えている。

「ふっ! ははは!」

 ついにレンフロが腹に手を当てて笑い出した。

 アンネリザとしてはどうしようもない。響く笑い声に疑問を浮かべながら、腹筋が痛いと訴えるレンフロを見守るだけだ。

 立てなくなるほど笑った後で、仕切り直すように咳払いをして向き合われる。

「すまなかった」

「いえ、かまいません。たまに義兄達にもされますので」

 サイレントでしかし笑い過ぎてその場に崩れ落ちる長姉の夫や、涙を浮かべて謝りながらも笑い声を抑えられないでいたすぐ上の姉の夫のことが頭を過る。他の義兄達も大小の違いはあれどよく笑う。自分が笑われるに足る馬鹿なことをしでかした時もあれば、特に思い当たることがない時もある。どちらにせよアンネリザにとっては慣れっこだ。

「そうなのか」

「はい。崖のお…」

「がけのぅ?」

「す、すみません。違います。間違えました」

 うっかり口を滑らせた。

 コレトーが脳内で、バレるなってい言いましたよね、と激しく訴えかけてくる。とてつもない剣幕で、よりにもよってなんで国王陛下の前でやらかすんです、と責め立てられる。

 実際のアンネリザは談話室に入ったあたりからコレトー卒倒ものの令嬢としては大失態を国王の前で披露し続けていたのだが、彼女の中では崖の王の話がバレなければコレトーは怒らないという謎の条件付けが出来ていたので今になって脳内コレトーが騒ぎ出した。

「ごめんなさいコレトー違うのよ。ちょっと待って…そうだ!」

 脳内が慌ただしくなり過ぎて思わず口に出して居もしないコレトーに謝っていた。だが、追い詰められた中に一筋の光明を見出す。

「そろそろホールに戻りませんか!」

 光明とするにはあまりにもぞんざいな話題転換だったが、その真剣な様子に追求するのも躊躇われた。それに、確かに結構な時間が経っている。

「そうだな。姫は、このまま帰るか?」

 バルコニーから室内に戻る。

「それとも、閉会後に帰る方が良いだろうか?」

 部屋の中程で立ち止まって、向かい合う。

「このまま帰りたく存じます」

「そうか」

 話題を逸らすことに無事成功したことでにこにこと満面の笑顔なアンネリザと、首のないレンフロ。二人は向かい合って、お互い見えていなくともしっかりと目が合い、見つめ合っていると思いながら立ち尽くす。

「………(にこにこにこにこ)」

「………」

 アンネリザの笑顔は崩れないが、レンフロは困った顔になる。

「………姫、首を返してもらって良いだろうか」

「やっぱり駄目ですか」

 なぜそのまま持って帰れると思ったのだろうか。

 アンネリザは渋々レンフロに首を返す。首が据えられるのを凝視して、部屋を出て行く前にと質問を投げかけた。

「見ていると簡単に取れてしまうように見えるのですが、私が取っても簡単に取れるのですか?」

 取れるといえば取れるし、取れないといえば取れない。そこはレンフロの加減次第なのだが、誰でも取れると言ったら、じゃあ取ってみても良いですか、と言われる気がした。どう答えたらいいか少し考える。

「そう簡単に取れるようでは困るな」

「まぁ、そうですよね」

 はっきりと断言しない形で答えてみたが、特に断定の追求を受けることはなく。尋ねた方も頷きながら納得を示す。

「頷いたりする度に首が取れたら阿鼻叫喚ですよねきっと」

 まったくその通りだとは思うが、頷く度に首が取れるという発想が無かったので、言葉を失くす。

 いったいどんな阿鼻叫喚の惨状を想像しているのか、眉間に力を込めながらも、口元が抑えきれず笑みの形を取っているアンネリザ。しばらくそうしてにやにやしていたが、不意にコレトーが叫ぶ声が聞こえて現実に戻る。真っ直ぐにレンフロが見つめていた。

「あ、すみません。お引き止めして。もう大丈夫です。私はここからこっそり帰りますので」

 にやけた顔を見られていたとしてもアンネリザに恥ずかしいという感情は生まれない。もはや、レンフロ相手に、今後、恥じらうということが起こり得るのか疑問である。

「では侍従に案内するよう伝えよう」

「ありがとうございます」

 ドアノブに手をかけて、アンネリザを見つめる。

「また、機会があれば」

「はい。お会いできる日を心待ちにしております」

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