第十一話:退城
柔らかく笑うレンフロを見送って、ドアが閉まると同時に椅子へ戻る。冷めてしまったお茶を一口飲んで、今日の出来事を振り返った。
つまらない苦行の時になると思っていたが、信じられないほどの幸福な時となった。人の予想など当てにはならず、禍福は糾える縄の如しだ、と悟ったようなことを考える。
「ふひっ」
令嬢というよりも歳頃の少女としてどうかと思う笑い声が漏れた。その後は、声こそ出ないものの誰に遠慮する必要もないので、たいそうにやにやとした顔で侍従の訪れを待っていた。
ノック音の後に声をかけられ、入室の許可を答えると、見合いの席にいたカツラが入ってきた。
「お帰りの馬車までご案内いたします」
「どうも」
令嬢の仮面で取り繕って、カツラの後をついて行く。アンネリザの中で任務はもはや達成されていたし、喜ばしい出来事に意気も揚々、誰に文句を言われることもない堂々とした令嬢ぶりでの歩みである。
なかなかに奇行が印象に残っているが、社交界で評判の高いアケチの姫らしく、楚々とした様子のアンネリザをそっと確認しながら先導していく。カツラにとって、長年使えているレンフロの見たこともない穏やかな笑顔を引き出した令嬢である。気にならないはずがなかった。
とはいえ、別に主から引き止めるよう言われたわけでも、何か言付けを預かったというわけでもない。そっとその様子を見る以外にできることはない。いちおう話しかけても無礼にはならないのだが、うっかり話しかけて先日の見合いの場のように合いの手も挟めない返答を炸裂されては困るという思いが邪魔をしている。
人目を避けるように馬車まで誘導する道はもうすぐ終わるところだ。
アンネリザの視界に自分の乗ってきた馬車と、控えるコレトーの姿が入る。カツラへは一礼で案内への謝意を伝え、笑顔のまま馬車へ乗り込む。
「ご苦労様」
手伝いをしてくれるコレトーに声をかけ、さっと席に座り、カツラと礼を交わしている彼が乗り込むのを待った。
コレトーも乗り込み、戸が閉められ、軽快な蹄鉄の音を鳴らして馬車が動き出す。ついにやり遂げたという思いでアンネリザはにんまりと笑みを深くする。
「で」
その顔に、真顔でコレトーが問いかけてきた。
「何をやらかしたのですか?」
「ええ!」
彼女はやり遂げたのだ。アケチ家の姉達が作り上げた評判を落とすことなく無事舞踏会の場を切り抜けた。てっきり褒められるものだとばかり思っていたのに、そんな質問をされて困惑すると共に大いに驚く。
「何故よコレトー。私ちゃんとやり遂げたのよ。そりゃあ壁の花には成れなかったけど。ちゃんと踊れたから大丈夫よ」
「踊ったのですか?!」
アンネリザの発言に今度はコレトーが驚く。その非難を込めた声音に正当な理由があったと主張する。
「陛下のお誘いを断る訳にいかないでしょう?」
「陛下…国王陛下と踊ったのですか?! ま、さか、足を踏んだりすっ転ばしたりしていないでしょうね?!」
「大丈夫だってば、ちゃんと踊れたって言ったでしょう。陛下がお上手だったからちゃんと何事もなく踊れたのよ!」
「…では、何故一人先に帰らされているんです?」
絶対にアンネリザが何かやらかしたからだと思っているコレトーには、ほかの令嬢達がまだ舞踏会に興じている中、一人帰される理由が思い浮かばない。
「それは」
どう話せばコレトーに怒られないかをしばし考えて組み立てる。
「陛下は聡明な方だわ。私が本気で結婚を考えていないことを見抜いていたの」
その事はコレトーどころか父親の方も承知の上での見合いだったので、まぁそうだろうなと頷くだけだ。
「その上で、陛下の方にも事情はあったのよ。これは私の推測だけどね。やっぱり決まってるんだと思うわ、婚約者。だから形式上開かれた舞踏会で御令嬢方の相手をして回るのは大変でしょ? そこで、結婚に興味の無い私の登場というわけ」
アンネリザは何やら得意げに自説を披露しているが、コレトーは疑いを解かない。
「私をダンス相手にして、さらに話し相手として退室することで、この舞踏会の面目を立てたのよ」
「何故、お嬢様なのですか? その確定している御令嬢で良いではありませんか」
ここでレンフロがアンネリザに好意を抱いているのでは、とならないのがコレトーの苦節の十五年を物語っている。
「そこが肝なのよ。私はいわば生贄ね」
「…なんですかそれ」
どんなに迷惑をかけられても大切な主人である。生贄という不穏な発言に思わず声が低くなる。
呆れられたり大きな声を上げられたりということはあっても、心胆を寒くするような低い声を出されたことのないアンネリザが、流石に驚いて口ごもる。
「コレトー…?」
父とそう歳の変わらない、第二の父のような、口うるさいじいやのような感覚のコレトーの不穏な顔など、初めて見た。不安になってあわあわと言葉を紡ぐ。
「その、生贄って言葉が悪かったけど、別にあれよ、一方的に私が利用されたのではないのよ。お話をして、私も早く帰りたいっていうのが陛下にも伝わったから、お互いの意見の一致をみた結果なのよ?」
「…え? 陛下にむかって早く帰りたいとか言ったんですか?」
呆れた顔をされた。だが、不穏当な顔よりもよほどましである。アンネリザは内心安堵の息を吐く。
「いや、はっきり言ったのではないわよ。お互い、こう、言外に察したのよ」
「お嬢様がですか?」
主に、察したという部分に引っ掛かりを覚えているらしい。すぐにそれと察して、頬を膨らませる。
「今だって貴方の疑りを察しているわよ」
「失礼いたしました」
「まったくもう」
先程の空気をすっかり消してくれたコレトーに、今度はしっかりと肩の力を抜きながら応じる。
「まぁ、そういう訳なの。お互い都合が良かったから相手は私になったのよ。向こうにしたら私なんて明日には領地に帰る田舎貴族の小娘で、噂になったってその頃には旅の空。でも、しばらくは私が噂になっているから、本命はその間に人知れず動けるということよ」
「お嬢様、そんな大役をなさったんですか…」
「たぶん、お姉様達の名声のおかげで白羽の矢が立ったんだと思うわ。田舎娘だけど、あのアケチの姫なら、みたいな、こう絶妙に丁度良い感じだったのよ」
「なるほど」
アンネリザではなく、あのアケチの姫、と括られれば、国王と噂になっても確かにおかしくはないと思える。
「お嬢様は、実に偉大なお姉様方をお持ちになりましたね」
「本当にそう思うわ」
満足感でいっぱいのアンネリザと安堵感でいっぱいのコレトーを乗せ、車輪も蹄鉄も規則正しく鳴って、馬車は軽快に帰路を進んだ。
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