第九話:実験

「視界はどのような状態でしたか?」

「…私も初めて知ったのだがな。私の視界は動くようだ」

 わくわくとした思いは持ちつつも、緊張から弛緩して少し冷静になっていたアンネリザの感情が再び昂り出す。

「え?! ど、どういうことですか、私が押したら視界が動いたということですか?」

 思わずレンフロの両肩をがしっと掴んでしまうが、咎める者が誰もいない状況のため、冷静になるタイミングがない。無礼なアンネリザの興奮はひたすら増していく。

「手が、視界を塞ぎかけた時にな、反射的にその手を避けようと考えた。すると自分の意志で動くことが解った」

「凄い! 凄いです! 動くというのは、どのくらいですか? ずっと上や、私の後まで見えたりするのでしょうか?!」

「そう、だな………室内を出ていくことはできないが、この部屋の中ならどこにでも動かせるな」

「では、外に、バルコニーに出てみましょう! 鳥の視界も超えられるかもしれません!」

「そうだな。私も試してみたい」

 アンネリザの興奮に当てられたわけではないが、レンフロも少し興奮していた。今まであまり自分の首がない状態のことを細かに考えたことがなかったが、自分が認識していたよりも使い道があるように考え始めていた。

 そもそも、レンフロの首が取れることになった経緯は、単純である。

 レンフロの父、つまり先王の時代。王には五人の妻がいた。第一王后は、自分の息子がレンフロの三歳年少であるために、王位継承権が第二位なことが気に入らなかった。そして、刺客を放って彼の寝首をかかせたのだ。

 このように、経緯はいたって単純で、残念ながらよく聞く話でもあった。だが、彼の首が取れるようになっても彼が死ななかったことには稀有な所以がある。

 精霊王と称されるアイデル王国の開祖。高位生命体である精霊と人の間に産まれ、その人ならざる力でアイデル王国の領土を人の治めることができる土地にしていったという、ほぼ伝説のような王を始祖とするためだ。

 その血を継いでいる王家には、時折人智を超えた力を持つ人物が産まれる事があった。レンフロもその一人だったのである。

 とはいえ、レンフロが産まれるまでは百五十年ほど、そうした王は出ていなかった。長く歴史が続く中で、精霊の血も薄くなってしまったのだろうと考えられていた矢先であった。

 精霊の力をもって王となったアイデル王国の王、その先祖返りとも言うべきレンフロ。彼の父はそのレンフロの首が取れてなお生きている姿をこそ王に相応しいとし、彼が十五歳で成人を迎えるとすぐに譲位した。こうして、レンフロは周囲の望むまま、本来戻すことも可能な首を、切り離されたままにしているのだ。

 彼が父王の要請を受け入れて首をそのままにした時から、父王は彼を息子ではなくアイデル王国の王として扱うようになった。

 また、レンフロの首が落とされて、それでも生きていた時から、彼の母は歓喜の涙を流すと共に人ならざる血を受け継ぐその体に触れることができなくなった。

 己の逸脱した部分が、肉親を遠ざけていることを悟った彼は、必要とされている逸脱である首が無いということ以外、逸脱することが無いようにしようと努めてきた。常に王として求められる責務に誠実に対応し、望まれる王としての人格に成ろうと励んだ。

 そのため、首が取れることを喜んで見つめ、どのような仕組みになっているのかに興味を示すようなアンネリザを、逸脱していることを当然のように受け入れる相手を前にして、初めて、自分の逸脱している部分の可能性を真剣に模索し始めていた。

「あの、陛下、その、置いていかれるのですか?」

 バルコニーに出ようと立ち上がったレンフロが、今まで座っていた椅子に自分の首を置くのを見て、アンネリザが問いかける。

「ああ、頭というのは重くてな。持ってるのも疲れるので、置いていく」

「持たせていただいてもよろしいですか?」

「………かまわないが、本当に重いぞ?」

「私、体力には自信がありますので、決して落としたりなどいたしませんわ!」

 別に落とされることを心配したのではなかったが、自信満々に腕を突き出す様に微笑ましさが湧く。もし、落とされてしまったとしても、どうせ彼の首は傷一つ付かない。

「好きにしてくれ」

「では!」

 座面に置かれた首を持ち上げるため、さっとその場に膝を着いて、両手をそっと伸ばす。頬下から耳の後に沿うように手を当てる。

「温かいですね」

「死んでいるわけではないからな」

「あの、お痛み等はありませんか、その力加減とか」

「大丈夫だ。切り離されている時の首は、殻に包まれているような感覚で、触覚や痛覚なども鈍い」

「そうなのですか」

「普段など箱に入れて寝室に放置している。そういば、一度鼠にかじられたことがある」

「えっ!!」

 驚きのあまり反射的に立ち上がってしまう。勢いが付いてしまったせいで手の中の首がぐらつき、慌てて抱えるように持ち直す。

「申し訳ありません。落とさないとお約束しましたのに、さっそくこの体たらくで」

「いや、大丈夫だ。落ちてはいないのだし。それと、鼠にかじられた件だが、さっきも言った通り殻に包まれているからな、なんともなかった」

「あ、なるほど…かじられた箇所がどこかにあるのかと思ってしまいました」

「ああ、ところで…」

「はい! バルコニーに出ましょう!」

 レンフロが言いたかったのは、自分の顔がアンネリザのささやかな胸に埋まっている状況をどうにかしないか、ということだったのだが。勘違いした彼女は意気揚々とバルコニーへ向かって歩み始めてしまう。

「…そう、だな」

 本人が申告した通り、首の触覚は殻に包まれており、決してアンネリザの胸の触感が知覚できるわけではないのだが。胸に顔が埋まっている状況には違いない。全く気にしていない様子のアンネリザに、指摘することが適切であるのか判断がつかず、レンフロはこの状況をそのままにすることにした。

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