第八話:ご褒美

 おずおずと上がるアンネリザの窺うような表情に、レンフロは安心して言って欲しい、という思いを込めて微笑んだ。

「私でできることなら」

「いえ、はい、それはもう。陛下にしかできないことです」

 ばっと顔を上げ、アンネリザは喜色満面の笑顔ではっきりと頼んだ。

「首をとって見せてください!!」

「………」

 この時、レンフロは忙しく瞬きながら悟った。見合いの席でがっかりだという顔をしたあの時、本当にアンネリザはがっかりしていたのだ、と。

「それはかまわないが。あまり女性に評判の良いものでは…」

「是非!」

 戸惑うレンフロの言葉に、アンネリザは食い気味で返事をした。

「…解った」

 そういうお願いを聞くことになるとは思っていなかったが、できることなら何でもするといった以上、断るのも気が引けた。人としての礼儀に鑑みれば十分に断れただろうが、レンフロ自身別にかまわない、という気になっていた。

 自分の首の無い姿は多くは恐怖を与える。あるいは、畏怖を喚起させる。だが、驚きの後には多くの者が奇異な者への蔑みを浮かべる。本人達にもその気はないのかもしれない。だが、レンフロには透けて見えるようだった。そういう後暗さのある、嫌な感情がアンネリザには一切無い。好奇心で人の首を取ることを望むのはどうかと思いはするのだが、悪意や邪気が無いのだ。純真なまでに興味本位である。

「わぁ…」

 アンネリザの口から感嘆の声が漏れる。

 まるで置物を動かすように、すっとレンフロの首が取れていた。生々しい肉の色に赤い血管の点、更には白い脛骨が剥き出しになる。

「っ…!」

 言葉にならない興奮で、何の意味もなく腕を上下にバタつかせる。光源の位置は何も変わっていないのに、アンネリザの瞳の中で光がキラキラと輝きを増した。

「そんなに、喜んでもらえるとは思わなかったな」

 顔色はそのままに、瞼を閉じたレンフロの顔が微笑む。

 アンネリザは首を傾げながらそんなレンフロの手の中にある顔を見つめる。

「………あの、陛下、今、どうやって喋っていらっしゃるのですか?」

「ん?」

 初めて訊かれた事だった。そして、言われてみれば考えたこともなかったが、首が取れて発声できるはずがない。現にレンフロの口は動いていない。彼女もその姿を見て疑問を持ったのだ。

「そう言われると、どうやって喋っているのだろうな………口が動くだけだな」

 声が聞こえていると思った途中で、手の上のレンフロがぱくぱくと口を動かす。もちろん声は出ない。

 もはや遠慮の無いアンネリザの心が、そわそわとざわめき出した。初めて会うはずだった場であれば、覚悟もしていたので何とかなったのかもしれない。だが、今となっては抑えようがない。彼女は前傾姿勢ですでに腰を浮かせつつ口を開く。

「あの、近付いてみてもよろしいですか?」

「かまわない」

 いそいそとテーブルを回って、側へ近付く。

「私、今から陛下の周りを一周しますので、詩か、何か、声を出し続けていただいてもよろしいですか?」

 真剣な表情ながら、好奇心で目を輝かせているアンネリザは、声の発生源を解明しようと提案した。

「解った。蒼々たる草の原を撫でるように薫風が吹き過ぎる 笑う山々は輝くような息吹に包まれて 白く眩い冠雪の遠きに見える輝きは宛ら古城の俤か 見つめる足下に煌く湖面は白鳥と遊び とめどもなく揺れる心は春の中 天の恵みは隈の無く地の望みは果ても無く 彼の理想郷は何処にか ただ吹き過ぎる風のみぞ知る」

 詩人トリトハクが伝説の亡国を詠った短い詩であった。

 その詩の終わりまでの間に、レンフロの周りを一周し、近付いたり離れたりしつつ発声源を検証しようとしていたアンネリザが立ち止まって手を顎に添える。

「元々首の有る部分から聞こえているように思います。ですが、首から空気、というか、音が出ているというのではないです。背後に回っても聞き辛いということはないですが、離れたら離れた分小さくなりました。陛下としては、首の有無と喋り方はどのような関係性なのですか?」

「実は、訊かれるまで気にしたことがなかったのだが、喋ろうと思って喋っている、としか言いようがないな。確かに発声していないはずなのだが、首の無い状態でも喋ろうと思うと声…ではないのか、まぁ、喋れている」

「もしかして、いわゆる念話というものなのでしょうか? 精霊と人間は心で会話をするとも言いますし………………いかがですか?」

 突然目を閉じて黙ったかと思うと、期待を込めた目で見つめられた。レンフロとしては何が何やら解らない。

「ん?」

「今、心の中で必死に叫んでみたのですが」

「いや、解らないな」

「そうですかぁ…陛下は今、心の中で何か考えていらっしゃいますか?」

「そうだな……………考えてみたが」

 レンフロの言葉にアンネリザの肩ががっくりと落ちる。

「聞こえませんでした。念話ではないのですね。うーん…そういえば、陛下は今、見えていらっしゃるのですよね? ずっと、瞼は閉じていらっしゃいますが」

 向かいの席に戻りながら、アンネリザが問いかける。

「ああ。視界は瞼を開けると頭の方が優先されるのだが、閉じると元々目のあったあたりから見えている」

 その返答に、戻りかけた足を止め、再びレンフロに近付く。

「手を、頭の、首の上にかざしてみてもよろしいですか?」

「かまわない」

 アンネリザはまず右手を首があった場合目前になるだろう位置で左右に振ってみせる。

「今、目の前で手を振っていると思うのですが、合っていますか?」

「そうだな、確かに目の前にある」

「では」

 今度は手を振るのを止め、目前からゆっくりとレンフロの背後へ押しやる。本来首があれば当然顔に当たって止まるわけだが、ゆっくりとその手は首の上を通過していく。

「ふぅ」

 行きと同じようにゆっくりと戻した手を胸に当て、アンネリザは実験を行っているという緊張から詰めていた息を吐いた。

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