第六話:退場
(あら?)
「手をとってから、ずっと下を向いていただろう?」
「私は………」
(踊れないという貴族令嬢としては致命的な欠点を、自分を昏倒させるほど殴りつけたとしても構わないから、知られないようにするにはどうしたらと考えていたんですが………踊れてるわ)
踊れないはずなのです、というのも憚られ、言葉を探す。
「緊張、してしまって」
「緊張?」
嘘ではないが、踊れてしまっている現実への驚きの方がはるかに上回り、もはや緊張状態ではない。とはいえ、その緊張の要因を素直に伝えるわけにもいかず、要因のもう一つを伝えた。
「あまり大勢の方の前で踊る機会はないものですから」
嘘ではなかった。元々舞踏会などで踊った事がない上に最初のダンスがこの上なく視線の突き刺さる舞台ときている。いくら強心臓で厚顔無恥なところがあるアンネリザでも多少の緊張はしていた。
そのアンネリザの返答に、確かにさっきまでは緊張していたのだろうと認め。だが、肩の力が抜けた今の状態はどうなのだろうと、レンフロが問いかける。
「なるほど。では、今は?」
「驚いています」
今はもう緊張していないと見抜かれていることに苦笑を浮かべ、素直に答える。
「驚く?」
「陛下が随分とお上手ですので」
(私がこんなに踊れているのって、そういうことだわ。モネッタのダンスなんて相手に任せておけば踊れますって言葉、こういうことだったのね。相手が上手なら何も考えない方がよっぽどきちんと踊れるものなんだわ)
今、アンネリザは何も考えていないに等しい。レンフロに手を引かれるがままに動いている。基本の型は理解していても今まで動けなかったことが嘘のようである。
(ダンス教師のチヨメ様にもなんだか申し訳ないわ…私自分の中でごちゃごちゃと考え過ぎていたのね…必死に教えてくださっていたのに。でも、先生も先生よね…どうしてもっと、こう、考えなくでいいですよとか、相手に任せてとか、なんで言ってくれなかったのかしら)
ダンス教師も、考えていたら体が強張るのです、とか一言言われればアドバイスしただろう。何を聞いても、無理の一言を叫び返していた少女に一体どうアドバイスしたら良かったというのか。
「そうだろうか、あまり言われたことがないが」
基本微笑という名のポーカーフェイスをしているレンフロの顔に、僅かとはいえ素直に戸惑いの色が浮かぶ。
その反応に、アンネリザも戸惑ってしまう。
「そうなのですか? お上手だと…」
言いかけて、はたと気付く。
(いや、よく考えたら私比較対象が無いに等しいんだった。そうか、こんなに上手だと思うのに、上手じゃないのね、普通陛下ほどの身分ならそれなりでも、上手だって言われるだろうし。そうなのね、うーん、これで上手じゃないの………)
それが良い悪いは置いておいて、レンフロほどの立場であれば、踊れているというだけで上手だと表現されるだろう。アンネリザはそう思っていた。だが、もっときちんと考えてみればそこいらの貴族子弟とは違うのだ。国を背負って国際交流の場にも出るのだ、多少で上手などとおだてるのは王のため、ひいては国のためにならない。
(こんなに踊れても褒めてもらえないなんて…)
自分だったら心が折れてひねくれただろうな、という感想までを持ってから、アンネリザは微苦笑を湛えた。
「すみません陛下。よくよく考えましたら私あまりダンスの教養が深くないもので、お上手かどうかなど言える程度にありませんでした」
「そうなのか。アケチ伯の姫君は皆社交界で名を聞く方ばかり、さぞ稚拙に思われるだろうと考えていたんだが」
返答にアンネリザは脳内で父の姿を思い出しながら、首がもげそうな程何度も頷く。
(あぁ、なるほど。姉様達の前評判もあってのご謙遜だったのね。律儀で謙虚。名君という評判は隠れようもない方だけど、ご性格もよろしいのね。はぁ、こんな方が更に有能な臣下に恵まれていれば、そりゃあ国内も安定するわ。お父様が会うだけでも勉強になるとかやけに推してたけど。こういうことなのね)
「姉達は確かにその通りなのですが、私は不得手です。舞踏会にもほとんど出たことはありませんし」
ここぞとばかりにダンスが不得手だと、告げた。ここまでのやりとりからしてそう告げればこの視線地獄からの脱却が望めると思ったからである。父の評価もこれまでのやりとりも、レンフロという人間が最大限相手に誠実たらんとしている事を表している。少なくともアンネリザはそう信じた。
少し考えるように沈黙した後、レンフロが口を開いた。
「では、どうだろう。この後は共に別室に下がらないか。話がしたいのだが」
「………はぁ…かまいません、が」
事態は信じた通りに結果をもたらした。ただ、少しばかり斜め方向に転がり過ぎである。
(どういうことかしら…? なんだかさっきから思惑の絶妙な斜め方向に進むんだけど)
曲の変わり目に合わせて互いに礼をとりダンスを終了する。
次こそは私が、という気合いをもってフロアの女性達が熱視線をレンフロに向けた。が、レンフロはアンネリザの手を取りそのまま会場を去るために歩き出す。
(あぁ視線が痛ぁい。けど、もう慣れてきちゃったわね。でも本当に、何でなのかしら? というか、陛下はここから下がってしまっていいのかしら? 気のせいじゃなければ先日の見合いの席にもいた侍従の方がだいぶ慌てているように見えるのだけど…)
最難関を乗り越えた事でアンネリザはもう開き直っていた。レンフロと共に下がる、という行為が、名前を落とす結果にならない事も関係している。考え得る限り最大限の面倒事を抱え込むはめにはなりそうだが、彼女にとっては、家と家族に迷惑をかけるよりは、面倒な事の方がましなのだ。
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