第四話:壁の花

「暇っと………」

 思わず溜息と愚痴が口から零れ落ち、慌てて口を閉じて辺りを目だけで見回す。

 幸いなことにアンネリザの傍には誰も居ない。まぁ、その誰も居ない事が思わず暇と言ってしまった要因でもあるのだが。

(もう、帰りたい…)

 舞踏会の会場は、王城と同じ敷地内に建つ、東の宮殿と呼ばれている建物の中である。

(せめて西の宮殿の舞踏会場だったら良かったのに…)

 王城にある西の宮殿は、今から二百年以上前に血で血を洗うような殺戮劇が繰り広げられた話の残る宮殿である。既に調度の類も一新され、何度かの改修工事が行われ、元の土地からも少しズレているため、アンネリザが期待するような陰惨さなど欠片もないのだが。そこは気の持ちようである。ここではかつて、と思えば勝手にテンションが上がるのが彼女である。

 そんな垂涎の場所が近くあるにも関わらず、結局そちらに行くことも叶わずただ呆っと立っているだけ。もう帰りたくてどうしようもないアンネリザだが、舞踏会はまだ始まってもいない。

(後から会場入りすると先客に値踏みされるから、それが嫌なら早めに入って壁に張り付いておきなさいって、アリ姉様の話があったから、早めに来たけど。やることないし、知り合いもいないし、暇過ぎるわ)

 メインホールから外れた場所で目立たないように立っているアンネリザは、先程から入ってくる招待客を確認していた。もっとも、彼女自身は同じ舞踏会の参加者を値踏みしようという考えはない。単純に知り合いの一人でも入ってこないだろうかと見ていたのだ。

(こうやって、入ってくる方々を見てても、そもそもどちらのどなた様なのかが解らないから値踏みのしようもないし………よく考えたらそうよね、ここにいる方々のほとんどが私のことなんか知らないんだから、ギリギリに入ってさっさと帰る方が正解だった気がするわ。あぁ、私、何でここにいるのかしら)

 ホールの扉が閉まるのを見て、いよいよ帰りたくてしようがなくなってくる。もうコレトーのお小言でもいいから、気心の知れた相手と人目を憚ることなく話したい。そんなことを考えている内に舞踏会は始まった。

 何組かの男女が中央でダンスを始めているのを眺める。

 光沢のある生地の燃えるような赤、淡い色合いながらもしっかりとした主張のある桃色、グラデーションが美しい青、ふと目を惹くような落ち着きのある緑、刺繍の金糸が映える艶やかな紫、豊富な色彩の糸で刺繍された花を持ちながらも清楚な雰囲気の白、散りばめられた宝石が煌く黒、薄布を重ねて見る角度で濃さを変える黄色。くるくると視界で様々な色が回っている。

 近付いて確認せずとも踊る彼女達のドレスが華やかで上質なのが解る。

(ますます出て行きたくなくなるわ。まぁ、出て行く気ないけど)

 心の中で深々と溜息をついて、自身のドレスを見下ろす。

 生地は確かに上等な絹を使ったドレスではあるのだが、デザインとしては至ってシンプルな作りであった。凝った刺繍や装飾が施されているわけではなく。斬新なデザインというわけでもない。昼の見合いでならばともかく、午後の舞踏会に出席するには地味の一言に尽きる。

(夜会でなくてもここまで気合を入れるものなのね。こんなことになるならアリ姉様のご忠告通りドレスをお借りしておけばよかったかしら…でもまさか舞踏会に呼ばれることになるとは思わなかったのよね…そもそもどうして呼ばれたのかしら? 我ながら特に見合い相手として選びたくなるような話はしなかったと思うのだけど)

 あまり前にいるとダンスに誘われるので、先程からじりじりと後退して、今は完全に壁際に立っている。コレトーに伴を頼んだのだが、やんわり断られたのを今更ながらに恨めしく思い返しながら存在感を必死に消す。もっとも、王家開催の舞踏会で侍従を同伴に選ぶのが間違いなのだが。

(うっかり誘われたら、緊張で胸が苦しくて、とか体調不良を理由に言っておけば相手に失礼なく断れる。だったわね。まぁ、そもそも壁際に立ってるのは私は踊りませんという宣言だからまず誘われないって聞いてる。うん。大丈夫なはず。あぁ、こんなことならアリ姉様の話真剣に聞いとけばよかった)

 意識を思考に集中さていくに従って、聴覚と視覚がぼんやりとしてくる。そのため、ちらちらとアンネリザを伺う視線には一切気付かず、ただただ無表情にその場で佇む。

(見た限り呼ばれている令嬢方は大方都貴族だと思うのよね…)

 アンネリザは、歳もあるが、人生の方針としてほとんど貴族の社交の場には出ていない。ましてや王都に足を踏み入れたのもこれが初めてである。そのため、王都に来てすぐに王都在住のアリエーナに会いに行った。

 四十歳、二児の母、という事実が信じられないような若々しさを保っているアリエーナは、形ばかりの令嬢でしかないアンネリザに王都の社交界の話を様々にしてくれた。

 そこで聞いたのが、華褒章と呼ばれる存在だった。年に数回催される王家主催のパーティに参加することで手に入る褒章で、なにがしかの名誉や恩典が付属することはなく、複数回の参加に対して贈られる記念品的褒章である。薊の花をモチーフにした飾りは、都貴族が好んでパーティに着用するらしい。

 ちなみに、都貴族というのは、別にそうした身分があるわけではない。一年のほとんどを王都で過ごしている貴族をそう呼び慣わしているのだ。

(国王陛下のお相手ともなれば、侯爵を排出するような伯爵家以上の家格が必要だものね。そういう方々なら年中王都に滞在して、社交の場に頻繁に現れるのもお手の物。うーん。私、数合わせかなにかで呼ばれたのかしら。それとも辺境領の娘という理由だけではじくような真似はしてないぞっていう姿勢を示すとか、かしら。まぁ、私みたいな小生意気で無礼な田舎娘でも参加しているってのは、建前上便利よね。あぁ、なるほど。自分で考えていて納得だわ。あんまり露骨に家格でふるったら、ならなんで見合いなんか開いたんだってなりかねないものね。その点私みたいのが舞踏会に混じってたら選別条件は一気に不明確になる。そういうことか、なるほどなるほど。となれば、途中退出してもいいんじゃないかしら。うん。ここに居た、という事実が有るだけで十分よね。そうそう。よし、帰ろう)

 見ているようで何も見ていないアンネリザは、考察していた間、自分の周りで何が起きているのかを一切把握していなかった。自分勝手に帰るという結論を導き出したところで、ようやく出入口を目指すべく視界を認識した。

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