第二話:青天の霹靂

「じゃあコレトー、お茶をお願い」

 アンネリザは内から湧き出して止まらない楽しい気持ちで自分と共に帰宅した侍従にお茶を要求した。

 既に初老を迎えたが、アンネリザに付き合うために必至に体力を保っている侍従のコレトーは、テンションの高い主人とは裏腹に淡々とした様子である。

「畏まりました」

 国王との見合いから既に三日が経過していた。

 王都の端とまではいかないが、中心部と呼ぶには外れた場所にあるアケチ家の王都屋敷。

 彼女は、連日そこから出かけては、基本的に持ち主不明の曰く付き物件や廃墟へ通っていた。初日などは陽の落ちかかるところまで巡っていたが、流石に三日目ともなれば青空の内に帰ってきた。まぁ、既にめぼしい所は全て回り終えたからとも言えるが。

「あの得も言われぬ哀愁と静寂はやはり歩んできた歴史が刻み込まれているからよね。ねぇ知ってるかしら…あぁ私話したわね昨日も。ほら、憶えているでしょう? アレントの雛罌粟の花。美しい紫色。あの美しさもやはりアレントに有ればこそよね」

 日当たりの良い居室でソファーに腰掛けてくつろぎながら、廃墟の様子を喜々として語る。

 彼女が言っているアレントの廃墟というのは、今から二十年前に所有者を失った貴族屋敷である。本館に東西の廓と庭を持つ、立派な屋敷だったのだが、今から二十年前にその屋敷の所有者だった男性が死んだ時から不気味な曰くが付きまといだした。三百年の歴史を持つ買い手には事欠かないだろう物件であるのに、未だに次の所有者が現れない。今、王都の最恐スポットと名高い場所である。

 そうしたおよそ一般的ではない場所を巡る王都観光から帰ってきた主人にお茶を淹れながら、主人の話は半分以上は聞き流すものと心得ているコレトーは、彼女の留守中に届いた文について告げる。

「本日正午過ぎ、王城より親書が届いたようです」

「あぁ、いやに美しい文箱があると思ったら、親書だったの」

 本来であれば、国王からの親書などがアケチ家に届いたら、上を下への大騒ぎをするところだっただろう。だが、彼女達にとってそれは予期していたものであったので、落ち着いてお茶などを飲みつつ開封するに至っている。

 彼女が見合いを終えた翌日、国王は全ての予定されていた相手との見合いを終えたのである。つまり、見合いの返答が一斉に各地の令嬢達に届いているというわけだ。

「それにしても律儀な方よね、陛下も。今回のお見合いって、結局三百人くらいとお会いになったって伺ったけど」

 丁寧な仕事が解る滑らかな表面の黒漆塗の文箱には、これまた丁寧な手織りの紅い紋様紐がかけられている。

 サッカイ州人好みの配色だが、国に関わる品の色は様々な決め事や慣習があるのが普通なので、特別アンネリザに配慮されたものではあるまい。しかしながら、好ましいと感じるのは自然な事で、彼女は思わず微笑みながら文箱を持ち上げる。

「地味だけれど丁寧な仕事だわ。この文箱だけでも素晴らしい記念ね」

 自身の前に文箱を置き、紐を解き、開ける。見合いの席で嗅いだのと同じ香りがした。真っ白な封筒に王紋の藍の封蝋。黒にも見紛う濃い青のインクで書かれた署名。

「これ、自筆かしらね? 整った美しい字だわ」

「さぁ…今上陛下の自筆は拝見したことがございませんので、なんとも」

「まぁ三百通自筆というのは現実的ではないわよね…王城の祐筆は流石、ということかしら。私もこんな美しい字が書きたいものだわ」

 封蝋を開く。真っ白な封筒の中には、極淡く紅色に染まったカードが入っていた。

(綺麗なカードね)

 おそらくは旅路の無事を祈るような、お断りの言葉が一言二言書かれているのだろう。そう思ってカードを引き抜く。どんな短い文でも美しい文字を見るのは楽しい事だ。

「………………」

「?」

 ねぇ、ほら見て、綺麗な字よ。そんな事を言ってはしゃぐだろうという予想に反し、引き抜いたカードに視線を落とすなり固まってしまったアンネリザに、コレトーが声を掛けようとした時だった。

「入ってもよろしいでしょうか」

 部屋の扉がノックされ、女中のカーシャの声が入室の許可を求める。

 アンネリザは反射的に声を上げる。

「どうぞ」

「入ります」

 入室を許可され、キビキビとした動作でカーシャが入ってくる。

 アケチ家の王都屋敷で臨時に雇い入れている彼女は、時期を同じく王都に来ていた姉カゼリーナの屋敷から借り受けている女中である。もっとも、見た目通りに若い彼女は姉の嫁ぎ先であるミスノフ家に勤めてまだ二十日目だったのだが。

 扉から数歩のところで立ち止まり、用件を告げる。

「荷造りは大方終了しております。ご出発は予定通りでよろしいでしょうか」

 アケチ家は辺境にあるさして余裕はない伯爵家である。一応王都に滞在用の屋敷を構えているとは言っても、人を常時、十全に配置する財力はない。そのため、今回の見合いのための諸々の出費は、家計をそれなりに圧迫しているのだ。したがって、長居は無用、と見合い予定日と前後二日の計五日間のみを滞在予定として計画し、行動していた。

「そう…そうだったわね。荷造りね。ええ」

 実際の見合いは予定より一日早く行われたので、見合い日から三日の今日こそが、王都滞在の最終日だった。

 アンネリザは、カーシャを見つめ、手元のカードに視線を落とし続ける。

「カーシャ。荷を解いて、私の礼装一式をもう一度出して頂戴」

「え…畏まりました」

 疑問を返しそうになり、慌てた様子で頷く。そんなカーシャに自分で気が付いて改めたなら言うほどのことはないと胸の内で考えつつ、コレトーは主人の言葉にこそ疑問の声を投げかける。

「お嬢様?」

 不思議そうに自分を見るコレトーに、アンネリザも不思議そうな顔を返してしまう。

 あまりない反応に、主人が産まれた頃から知っている侍従は嫌な予感がした。

「ねぇ、コレトー」

「はい」

「舞踏会って、何をするものだったかしら?」

「舞踏会ですか。ダンスをする社交の場、ではございませんか?」

「そうよねぇ…」

 その質問の後に手元のカードを渡され、恐る恐るコレトーがそのカードを見る。

「舞踏会への招待状」

 そこには、アンネリザを明日の午後に催される王城の舞踏会に招待する旨が記されていた。

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