首無し王と生首王后

nionea

第一章 出会い

第一話:見合いの日

 アイデル王国の首無し王レンフロが、王后を求めて見合いをしている。

 その噂が大陸の端に届く頃。

 王国辺境の小領主であるアケチ伯爵家の末娘が王城で見合いに臨んでいた。

「サッカイ州アケチ伯が御息女アンネリザ様、ご到着です」

 齢十五の少女アケチ・アンネリザは、今まで着たこともなかった上等な絹のドレスに身を包み、まだ膨らみ始めたばかりの胸を張り、精一杯令嬢としての慎みを発揮してその部屋へ足を踏み入れた。

(さぁ…いよいよだわ!)

 靴音が全く立たないほど重厚な絨毯が敷き詰められたその室内は、王城の中でもそれほど華美な部屋ではないはずだった。

 見合いは相手を威圧するような場所でするべきでない、との配慮から、本来は王族が庭を眺めながら休息をとる部屋が使用されていたからだ。

 それでも、彼女が生きてきた中では一度も見たことがないような高級な調度ばかりで占められていた。

 喜びのあまり大口を開けて笑いだしそうになるのを必死に堪えて微笑みを形作り、興奮のあまり震えそうになる指先まで必死に神経を張り詰めさせる。無礼にも席へ駆けて、王の姿を見たいという思いを懸命に噛み殺して、侍従が王へ自身の紹介を終えるのを待つ。

「どうぞこちらの席へ」

 侍従に声をかけられ、王が座している向かいの席へ誘われる。

 気を使わずとも足音など立ちそうになかったが、自身を鎮める意味も込めて、ゆっくり静々と、椅子に近付いた。

 傍まで近付いたところで、軽く膝を折り、礼をする。

 身分が拮抗していればすぐにその礼を解くが、国王の前では自分からその礼を解くことは出来ない。しばらくはその姿勢を保つことになる、と思っていたが、彼女の予想よりもすぐに声はかかった。

「楽に」

「…はい」

 声が震えた。

 両手を握り締めて震えを殺しつつ椅子にかける。再度昂ぶってきた自身を一つ深い呼吸で落ち着け、顔を上げる。

 この時のアンネリザの様子を、控えていた侍従長のカツラは後にこう語る。

「多くの御令嬢方は、皆様この上ない緊張の中で陛下のご尊顔を拝すことになります。そして、その麗しさに頬を染めるのです。が、あの方は違いましたね。顔を上げた次の瞬間に心底、ええ、それはもうこちらが驚く程はっきりと、がっかりだ、というような顔をなさったんです」

 この言葉は、全く的を射た表現だった。

 アンネリザは、それまでの必死の努力を一瞬で無にするほど露骨にその表情を変えた。眉をひそめ、目を見開き、口角を下げつつ口を半開きにする。流石に声は出さなかったが、その心にはおそらく彼女が出せる中で最上級にドスのきいた『はぁ?』という台詞が渦巻いていた。

「………」

 その表情の変わりように流石の首無し王レンフロも言葉を失う。

 いや、正確には見合いのために首を据えていたので、ただのアイデル国王レンフロだろうか。

 母譲りの冴えた美貌を珍しく困惑に染め、アンネリザの顔を見つめ返す。

 たっぷり二呼吸の間を経て、自分が王の前で甚だしく無礼な表情を作っていることに彼女は気付いた。慌ててその表情を取り繕おうと両手で顔を覆う。次に手をどけた時には、入室時よりも引きつった微笑が張り付いていた。

「………姫、無理をされずとも、気分が優れないのなら日を改めても構わないが」

 他にアンネリザの変わり様をどう受け取っていいか解らず、体調不良を心配して声をかける。

「いいえ、然様なことはございません陛下。どうぞお気遣いなく」

 もっとも、アンネリザはニコニコとそれを否定する。

 この時、彼女は心底がっかりしていた。彼女にとってこの見合いはこれ以上ない幸福な瞬間を彼女にもたらすはずだったが、それが叶わなかったからだ。

 そして、それが叶わない以上彼女はもはや一分一秒でも早くこの見合いを終わらせてしまいたかった。この憮然とした気持ちになるために窮屈な立ち振る舞いと服に身を包むなど、苦行でしかない。

(一生お会いすることも無いだろうと思っていた陛下にお会いできると思って張り切っていたのに、信じられない)

 芸術作品のような美しい顔が、今はただただ憎らしい。

(あるじゃない、首!)

 彼女は期待していたのだ。心から。首無し王、に会える事を。

(首無し王の首があるってどういうことなの。私は何のためにここに来たのよ。もう嫌。泣きそう)

 彼女が国王との見合いに臨むために行った数々の事柄が、走馬灯のように脳裏に駆け巡る。

(一月もかけてドレスが似合うようにダイエットだってしたし。綺麗に見えるからって踵の高い靴だって我慢して履けるようにしたし。髪が痛むからって、外出も控えさせられたし。肌にいいからってなんか臭いジュースだって我慢して飲んだし。ほとんど毎日、領主って暇なのね、って思いたくなるくらい度々小言を言いに来るお父様にだってちゃんと笑顔で対応できる練習をしたし。お姉様達が連日代わる代わる送ってくる文の内容だってちゃんと勉強したし。粗相をしないようにって、王都についてからだってアリ姉様に挨拶に行った以外じゃあ屋敷内で大人しくしていたし)

 内心では床を転げまわってジタバタする彼女だったが、表面上は父の小言を受け流していた時の様にニコニコと微笑を浮かべる。

 そこからは、おそらく見合い相手全てに訊いているのだろう、世間話のような当たり障りのない会話が始まった。

 そして、アンネリザの緊張も、カツラが見ていてハラハラするくらいには解けた頃。

 自然な流れでその質問は出た。

「アケチ伯の領内の事など、きかせてくれ」

 この質問に、大半の御令嬢方はにこにこと観光案内にでも載っているような領地自慢を返す。無論、陛下の治世が素晴らしいという前提も忘れずに告げはする。

 少々頭のきれる者ならば、ここぞとばかりに自身の両親の手腕を付け加える。

 さらに社交慣れしたような令嬢であれば、陛下の治世故に平穏無事である、とただそれだけを告げて次の質問へ移る。

「はぁ、領内のことですか…そうですね」

 己の口元に手をあて、斜め上の空間をぼんやりと見つめて考え、アンネリザは口を開く。

「私どもの領内は山岳州とも呼ばれるサッカイ州においては珍しい、さほど峻険な山を持たない領土です。まぁ、陛下の治世の如き情勢であれば軍備上での大した問題にもなりませんので、子供達でも山頂まで行けますから山幸を得るという意味では恵まれている条件であると思います。 (中略) まぁ、私程度の思いつくようなことを考える方はいくらもいらっしゃって、大変な労力を払って山丸々を柵で囲って育てた方も居たようなんですよね。でも、環境や飼料を野にある状態にどんなに近付けても、人間に育てられていると巻毛山羊は減耗するんです。不思議ですよね…」

「姫」

「はい」

 滔々と続くアンネリザの話が、もはや領地の話から逸れ、巻毛山羊の話になり、己の思案に落ち込んで黙ったところで空かさずレンフロは声をかけた。

「今日は実に楽しい時を過ごせた。礼を言う」

「光栄です陛下」

 その言葉に見合いの終わりをみて、アンネリザは晴れやかな笑顔と共に退室の礼を取った。緊張のあまり空回り、思わぬ恥をかいてしまった令嬢は数あれど、侍従から奇異の視線を向けられつつもここまで晴れ晴れとした顔で退室したのはおそらく彼女だけだろう。

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