第7話 耶蘇市

 時はさかのぼり、無人島に小次郎が取り残された直後。

 藤岡船長が操縦するクルーザーでは、興奮した乗客たちが騒いでいた。


「さ、沢田さんが……」

「船長、どうなってるんだ!」

「あれは何なんだ?」


 船長は騒ぎを聞きながら、苦虫を噛み潰したような顔で船を操縦していた。バイトの小次郎を見殺しにしたことに罪悪感を抱いているのだ。


「船長、何か聞いていないか?」

 研修の責任者である長瀬が訊いた。船長は首を振り、何も分からないと答える。


「警察か、海上保安庁に連絡してみろ」

「ダメなんです。さっきから無線に誰も出ないんです」

「何てことだ。しかも沢田が死ぬなんて……私の責任ではないぞ。奴が船に乗り遅れるのが悪いんだ」


 女性職員たちは涙を流しヒステリックになっている。男性職員は御手洗一族である煬帝を中心に集まり、小声でぼそぼそと話をしていた。


「煬帝さん、あの化け物は何だったのでしょう?」

「分からんな。あれはどう見ても本物だった。あんな化け物が居るはずがないんだ」

「何が起きているのでしょう。あの島だけに起きた異変だったんでしょうか?」

「君は、あの島以外も何かが起きていると?」


 男性職員の全員が深刻な顔になっていた。煬帝が船長に顔を向ける。

「船長、急いでくれ。耶蘇市の様子が気にかかる」

「分かりました」


 クルーザーがスピードを上げた。一時間半ほどで耶蘇市の港に到着。

「な、何が?」

 長瀬が思わず声を上げた。街のあちこちで煙が上がっている。特に街の中心で火事が多いようだ。


 煬帝はスマホを取り出して、御手洗グループの会長に連絡しようとした。だが、スマホが圏外になっている。

「僕のスマホは圏外だ。お前たちのはどうだ?」

「ダメです。私のスマホも圏外です」

 全員のスマホが使えないと分かった。


 船長と別れて上陸した長瀬たちは、歩いて職場に向かった。来る時はマイクロバスで来たのだが、連絡手段がないのでタクシーでさえ呼べない状況だ。歩けば一時間ほどだろう。


 港には人気がなかった。普段なら必ず人が居るはずなのだが。

 長瀬がぶつぶつと文句を言いながら歩き始める。港から街に入ったところで、衝撃の光景が目に入った。


 大型犬ほどの大きさがある五匹の狼が人間をむさぼっていたのだ。

「犬? 違う。狼じゃないか?」

 煬帝が小声で疑問を告げた。


「そんなのどっちでもいいです。あいつらが食っているのは人間なんですよ。ここは逃げなきゃ」

 男性職員の一人が強い口調で言った。


 その声を聞いた狼たちが、煬帝たちに目を向けた。

「馬鹿野郎、貴様が大きな声を上げるからだ」

 煬帝が声を上げた。だが、そんな非難の声を上げている暇はなかった。狼たちがこちらに向かって走り出していたのだ。


「やばい、逃げるんだ」

 長瀬が大声を上げた。煬帝たちは近くのビルに向かって走り出した。その後ろへ狼たちが迫る。男性職員の何人かは女性職員を守るために、手を握って引っ張り始めた。


 最後尾は年長の長瀬になった。メタボ気味の体形の通り、長瀬は走るのが苦手だった。懸命に走るが、すぐに呼吸が苦しくなる。そして、段々と遅れ始める。


 ついには狼に追いつかれ足に牙を突き立てられる。

「ぎゃあああ―――」

 長瀬は引きずり倒され、その身体に狼が群がった。長瀬は必死に手足をバタつかせて抵抗する。だが、無情にも狼の牙が、その喉に突き立てられた。


 犠牲になったのは、長瀬ばかりではなかった。ビルに逃げ込めた者は、煬帝とミカ、リリカ、それに久坂と日比野という男性職員だけだった。


 ビル内に入った五人は、エレベーターに向かった。上の階に逃げようと思ったのだ。しかし、エレベーターは止まっていた。どうやら停電しているらしい。


「どうするの?」

 ミカが煬帝に尋ねた。煬帝は階段を上るように指示する。五人は上の階を目指し階段を上り始めた。


 四階まで上がった時、人の気配がしたので探し始めた。その階には隠れていた者たちが居た。このビルには、弁護士事務所が入っており、そこの二人が隠れていたのだ。


「君たちは、何が起きたか知っているか?」

 煬帝が二人に尋ねた。二人は滝川という四〇代の男性と西野という若手弁護士である。ここの弁護士事務所は、御手洗グループの顧問弁護士をしているので、御手洗一族の煬帝には頭が上がらない。


「我々にも分からないのです。急ぎの仕事があって、昨夜は事務所に泊まり込んでいました。そして、他の弁護士が出勤し、仕事を引き継いだら帰ろうと思っていたんです」


 西野の話では、事務所で仮眠をとっていた二人が起きた時、停電しており誰も出勤しなかったという。二人は上司に連絡しようとしたが、固定電話でさえも繋がらなかったようだ。


 二人は帰るのを諦め朝食を買いに外へ出たら、狼の群れに襲われビルに逃げ戻ったらしい。

「それ以降、ずっとここに隠れていたのか?」

「そうです。武器がないので、狼には勝てません」


 煬帝は納得して頷いた。そして、二人が外に食料を買い出しに行ったという話を思い出す。

「まずいな。ここには食料がないのか?」

「いえ、ここの一階にパン屋があります。そこなら食料があるはずです」


 窓から外を見ると、日が傾き夜が近いことが分かる。今日はここに泊まることになると覚悟した煬帝は、食料調達を決意する。

「よし、パン屋に行って食料を持って来よう」


 無事にパン屋で食料を手に入れた煬帝たちは、食事をしながら話し合った。

「いつまでも、ここには居られません」

 西野が意見を述べた。それを聞いた煬帝が、

「それはそうだが、どこに行けばいいというのだ?」


「市役所はどうでしょう」

「そうか。あそこがあったな」

 市役所には、災害用備蓄食料がある。助けが来るまで待つには最適の場所だろう。市長は煬帝の伯父なので必ず助けてくれるはず。


「問題は、外の狼です。車がないと市役所までは行けませんよ」

「このビルには駐車場はないのか?」

「事務所の車が、隣の地下駐車場に停めてあります」


「隣か。武器が必要だな。何かないのか?」

「ゴルフクラブくらいしかないです」

 煬帝が顔をしかめて舌打ちした。

「チッ、仕方ない。ゴルフクラブを持って来い。……ここにはテレビかラジオはないのか?」


 テレビがあったが、停電で使えなかった。ここでも圏外になるので、情報を手に入れられない。

 その日は、外が暗くなったのでこのビルに泊り、翌朝に市役所へ行こうと動き出した。


 翌朝、不安であまり眠れなかったらしい女性たちが起きてきた。ミカが怯えた声で煬帝に確認する。

「本当に大丈夫なの?」

「このビルに留まったら死ぬぞ」

「警察とか、自衛隊とかが来るまで待ったらどう?」


 煬帝は溜息を吐いて言い返した。

「一日待っても来なかったんだ。行動した方がいい」

 ミカは不安そうな顔のまま黙った。


 ビルの入り口から出た煬帝たちは隣のビルに向かう。地下駐車場へ行き、商用の高級バンに乗り込んだ。七人乗りだったので問題なく全員が乗れた。その時、地下駐車場の入り口に狼たちが現れた。


「は、早く出して!」

 ミカが金切り声で叫んだ。リリカは怯えた顔でミカに抱きついている。運転するのは煬帝である。急発進した車は、狼の群れに突っ込んだ。


 狼の一匹が逃げ遅れて車に撥ね飛ばされた。道路に出て交差点まで来た時、煬帝の頭の中で正体不明の声が響いた。


【レベルが上がりました】


 次の瞬間、凄まじい激痛が煬帝を襲う。ハンドルから手を離した煬帝が暴れ始めた。それを見た助手席の西野が、素早くハンドルを握りブレーキを踏んで車を停めた。

「し、しっかりしろ。どうしたんだ?」


 苦労して運転を交代した西野は、市役所に向け車を走らせた。助手席で苦しんでいる煬帝が、一〇分ほどでおとなしくなった。そして、突然、大声で叫んだ。


「なんじゃこりゃー!」

「な、何なのよ」

 ミカとリリカが怯えた顔で煬帝の様子を見ていた。煬帝は落ち着いたようだ。だが、驚いた顔のまま固まっている。


 西野が煬帝を心配して声を上げた。

「どうしたんです?」

「僕のレベルが上がったらしい」

「はあっ?」


 煬帝は、頭の中にゲームのステータス画面のようなものが表示されていることを説明した。


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