第3話 最後の決闘

そびえ立つ崖の中にぽっかりと空いた大穴の前に、朧はいた。雲雀と共にいた時とは、まるで違う様子、格好でそこにいた。

兜に胴、すね当てに手甲その他諸々、具足一式を揃え、纏い、右の手には大薙刀を構えていた。具足が日光に輝かせられ、表情はキリリと引き締まり、絵に描いたような見事な武者姿だった。

一夜かけて山を越え、洞穴の近くで野営すると、持ってきた荷物から、これら一式に着替えたのだった。


 鎧の重量もものともせず、彼女は洞穴の闇へ進んでいく。一歩、踏み入れただけで空気が変わったのが分かった。ひんやりとした空気と、底知れぬ闇が広がるそこはまるで、大蛇の胃袋の様だ。よく見ると、何かの動物の骨が異臭を放ちながらバラバラに転がっている。

薙刀の石突で地面を叩くと、空間全体に響いた。続いて息を深く吸い込み、それを大声で吐き出した。

「さぁ出てこい!お主への生け贄ぞ!」

暫くそこで待つと、次第に地面が揺れ始めた。ズシン、ズシンッ、と揺れは鈍い音を伴い、それは段々と大きくなっていった。

そして巨大な大鎧の妖怪バケモノ、不動がその姿を現した。上背は人の三倍越え、歩みの度に地震を起こすその巨駆を、余すことなく大鎧が覆っている。同じ鎧武者にしても、朧とは幾回りもスケールが違った。

一歩、また一歩、鈍足ながらも一歩の歩幅は巨体に見合う長さ。姿を見せるとすぐ、朧と不動は目と鼻の先の距離にまで近づいた。

だが、彼女の間合いからはいま一つ遠かった。

まだ動く訳にはいかない。

朧は慎重に相手の動きを警戒していた。一挙手一投足、攻撃に繋がる隙を探し、また自分自身は隙を見せないようにしていた。しかし、当の怪物本人はいたって平然と、無防備に、そして馴れ馴れしく話しかけてきた。

「おぉよく来た。ちょうど獲物を食い終わっちまった所でな。やはり熊や鹿よか人が食いたいなる」

「黙れ。貴様と話すことなど何もない。早く構えるがいい」

「お前には無くてもワシにはある。食ってやる前に、一つ問答をせにゃならん」

鬼の総面の間で、血がこびり付いた口が、黄身の様な爛爛とした瞳が嗤った。

「お前、ワシに勝てると思っているのか?」

朧は、あからさまに眉根を寄せた。勇ましく輝いていた眼に、怒りが沸々と沸いていた。この程度の挑発で周りを見失うほど愚かでは無いが、握った薙刀には力がより入った。

「無礼な奴。決闘の場では言葉を慎め」

「カカカ、すまんなぁ。こう、幾十百年も生きているとな、退屈で仕方ないのだ。それにワシはこれが決闘だなんてこれっぽちも思っておらん。あんまりにも長い人生の、偶の楽しみに過ぎん」

「その為に、そんな道楽で父と母を殺したのか」

「別に貴様の親だけ殺した訳ではない。一族郎党皆もろとも、正々堂々戦って、負けたから死んだのだ」

「貴様、私の両親を愚弄する気か」

「事実を言ったまでだ。まぁ、確かにお前の親は特別強かったぞ。五年前、十年前だったかな?誇りたければ誇るがいい」

「……」

朧は沈黙し、何も答えない。ゆっくりと大きく息を吸い、同じようにそれを吐いた。そして鬼の総面を睨み、激しい怒気を内包しながら静かに言った。

「貴様の道楽も、今日で終わりだ。私は一族最後の武士。貴様の首を必ず奪ってやる」

彼女は大刃の薙刀を軽々持ち上げると、流れる様に自在に操り、怪物の喉元へ刃を向けた。

「カカカ――下らねぇ茶番だな」

渇ききった笑い声をあげて、怪物は背に手を回し、巨大な、もはや刀とも呼べない鉄塊を握った。


「いざ尋常に――」



勝負が始まるその瞬間、


「伏せて!

突然、朧でも大鎧でもない声が、両者の間に割り込んだ。気を張っていた彼女は、咄嗟に身をかがめた。

ほんのコンマ何秒遅れて、耳をつんざく爆裂音。宙を音速越えで切り裂く音。それが何かと衝突する音。それら全てが一瞬の間に連続した。

「おぉ……」

そして大鎧は小さく唸るとそのままうつ伏せに倒れ、轟音がそれに続いた。鋼に覆われた巨体は、ピクリとも動かない。

あっという間、一瞬の間の出来事だった。だが何が起こったのか、朧は確かに見ていた。

突然、背後から一発の銃弾が現れた。それは怪物の鬼面、その口の隙間へと飛んでいった。そして、巨大な怪物は倒れたのだった。

朧は振り返り、背後を見た。見えたのは、長く細い鉄の筒、火縄鉄砲。

口からは細い煙がたなびき火薬の匂いが漏れるそれは、少年の腕の内にあった。

「朱村……さん」

少年の名前を、彼女は呆然と呟いた。

名を呼ばれた少年自身も、

「やった……のか?」

信じられないといった風に呆然としていた。だが暫くすれば状況を受け入れ、理解し、表情がパッと明るくなった。

「やった……やったぞ!倒したんだ!」

歓声を上げ、駆け寄る雲雀。対照的に、朧は怒りの形相を見せた。

「どうして来たのですか!ここはあなたが来てよい場所ではないのですよ!」

激しい叱責もどこ吹く風。すっかり興奮しきった雲雀が臆する事はなかった。

「でも、倒しましたよ!勝ちましたよ!これでもう大丈夫ですよ」

「もう大丈夫……?」

雲雀の物言いに何かを感じた朧は考え、ハッとした。

「まさか……もう手紙を読んだのですか。全く勝手な事ばかりして……」

「悪かったとは思っています。でも俺だって役に立ちたかったんですよ!放っておけなかった!不意討ちだろうと何だろうと、何かしたかったんですよ!」

興奮昂る熱に任せ、雲雀は熱弁を振るった。

輝くような笑みを見せる少年だが、実態は熱に浮かされているに過ぎなかった。ある種、狂気にも近いそれを感じた朧は悪寒が走り、同時に苛立ちを覚えた。


だがその事を朧が口にする直前、

「ほう、お前の策だったか。小僧」

大きなしゃがれ声が、突然、二人の間を引き裂いた。二人、特に雲雀の顔から熱が、熱が、血の気が引いていく。バカ熱くなっていた分、より深刻に凍てついた。


そんな、銃弾は確かに届いたはず。まさか、銃弾を喰らって、顔の正面にまともに喰らって生きている訳がない!


雲雀は願った。しかし、地響きと共に目の前に転がっていた巨体が、悠然と立ち上がっていく。小山の如き巨体は未だ健在であった。

「しかし、まぁ所詮は戦に不慣れなよ。弱点と分かっているところをむざむざ放っておくかよ」

二ッと開いた鬼面の口の奥底には、まだ熱を帯びた銃弾が血に汚れた歯の間で鈍く光っていた。

「なっ――」

信じられない事だが、口で銃弾を受け止めたらしかった。鎧をも貫く威力と早さの鉛玉は、そのまま噛み砕かれ、吐き捨てられた。ダメージは、無い。

「ッ!下がっていなさい!」

雲雀を押し退け、前へ飛び出した朧は気合いのある掛け声と共に、朧の大振りの薙刀を振るった。

「っせいりゃ!」

突風を起こす勢い、渾身のただ一発。大鎧の脇腹目がけて、胴体を両断せんと、一閃。何の障害も問題もなく、全力一刀が入った。

金属のぶつかり合う音が洞窟内で反響を起こし、雲雀は怯み、咄嗟に耳をふさいだ。そして向き直り、見て、愕然とした。薙刀の刃はその半分までが大鎧へ食い込んだ。だが食い込んだだけで、本体までは届かなかった。並みの倍の大きさがある巨刃が、である。想像の遥か上をいく防御力であった。

「ほぅ、こちらは中々よ。ここまでの大傷をつけるとは大したものだ」

怪物は彼女渾身の一撃を余裕で称え、刀を持たぬ方の腕を振り上げると、

「どけぃ」

そう言って何もなしに薙いだ。

ただの軽い一発。だというのに、それは質量的にはあまりにも重く、並々ならぬ威力を奮っていた。拳が彼女の兜に掠めると、彼女の体と共に空中でひしゃげながら飛んでいった。

「ぐぁっ!」

体を洞窟の壁に叩きつけられ、悲鳴を上げた。顔を上げると、美しい黒髪の間からは赤い血が流れている。頭を押さえながら苦し気に呻きながらも、なお彼女は立ち上がった。幸い、傷は浅かったが、酷く息が苦しかった。胸の中、破裂しそうな勢いで心臓が拍動している。

「逃げ……て。あなただけでも……」

小さな声で彼女は言った。


そうだ逃げれば良かったのだ。倒れていた隙に、あの時に、朧と一緒に。


熱に浮かれていた雲雀は、今になって冷静に周囲を目を向けていた。

だが、もう時は遅く、出来る事といえば仕損じた一手の後悔だけだった。



「さてさて、次はワシの番だな」

怪物が、嗤った。


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る