第2話 彼女のいない村
朧はいないが、自分の仕事じたいは何ら変わらない。雲雀はそう思っていた。
しかし実際にいざ、朝食を作ろうと思っても自分一人の為に作るのも面倒に感じる。
今日は一人だから適当に作り適当に食うと、彼は近くの村の畑仕事を手伝いに外に出た。近くと言っても朧の家は村から遠く外れた場所にあり片道三十分かかる。どうしてそんな場所に住んでいるのか、気にならない訳ではないが、他人の家の事情に首を突っ込んでは悪いと自重していた。
名前をカネダというこの村は、なんて事は無い平凡な農村である。山の中にある事も重なってか、人口はほんの僅か、漏れなく全員百姓である。本当に何にもない長閑な所なのだが、今日はいつもより少し騒がしいように感じられた。雲雀は特別に気には留めず、まっすぐ村長の家まで赴いた。玄関の前で、
「おはようございます。今日も手伝いに参りました」と声を出すと、戸が開いて、村長の奥さんが現れた。随分と機嫌が良さそうだが、雲雀の顔を見ると困惑の表情を浮かべた。
「あんれ、今日も畑仕事かいな。今日は祭だからみんなお休みだよ」
「祭り、ですか?」
どうりで騒がしい訳だと雲雀は合点がいった。
「聞いてなかったのかい?まぁそれならそれでいいや。今日の手伝いはいいから、村の子供たちの相手してやってくんなし。藪の方で遊んではしゃいで危なっかしいからねぇ。蛇にでも噛まれないうちに、どっか違う場所で遊ばせてやって」
「祭の準備の手伝いは大丈夫ですか?男手が必要なら行きますけれど」
「人手は足りているから大丈夫だよ。若い衆もいるからね」
「分かりました。それでは」
挨拶をして別れ、雲雀は元来た道を引き返して行った。改めて周りを見てみると、確かにそれらしいモノを大人たちで運んで、組み立てている。祭りとはいうが、屋台とかはあるのだろうか。もしあるのなら、是非とも朧と一緒に行ってみたかった。
「ついてないなぁ、俺も朧さんも。ちょうど祭りの日に出かけちゃうなんてなぁ」
朧は祭の事に一切言及してなかったが、もしかしたら参加出来ないのが悔しくて、思い出したくもなくて黙っていたのだろうか。
いや、そもそも彼女が参加するのか。雲雀はふと疑問に思った。
今まで何度か朧と一緒に村へ来たが、村人も彼女も何だかお互いに素っ気なかった。まるで余計な干渉を控えているかの様な、異様な雰囲気を雲雀は味わった。そもそも、どうして村から外れた場所に住んでいるのか、気にならない訳ではないが、他人の家の事情に首を突っ込んでは悪いと自重していた。
なんて事を考えているうちに、村と朧の家を分断する藪に到達した。緑の向こう側からはキャッキャッと甲高い声を上げて遊びまわる子どもらの声が聞こえる。さっそく彼は子供らを呼ぼうとして、
「あれ。そういえば子どもとは初対面だな。参ったな、俺の言う事聞いてくれるのかぁ?」
弟妹がいない雲雀には、小さい子供の相手なんて何時以来の経験だろうか。頭を抱えそうにもなったが、ふと気づくと、一人の少年がこちらをじっと探るような目で見ているではないか。
「あぁ、取り敢えず一人目……」
声をかけようと一歩前に行くと、突然、すぐ近くの茂みから二人一斉に飛び出した。驚いた雲雀はワッ!と大きな悲鳴を上げて、尻もちまでついてしまった。立ち上がり、地面についてしまった辺りを確認すると、やっぱり泥がついていた。
「あーあー全くもう、朧さんに貸してもらった着物なのに」
あくまで『何時かは返す』つもりでいる雲雀は大いに顔をしかめた。顔をあげると、さっきまで藪の中にいて確認できなかった子どもたちが、全員で彼を指さして笑っていた。
「だっせぇ」「驚いて転んでやんの」「ドジだドジだ」と、どうやら子どもというのは何処であろうとも共通している事はあるらしい。まるで小学生の自分と同級生を見ているようだ。
子供らは近くの仲間と顔を見合わせたり、雲雀を横目にヒソヒソと話しをしていた。見知らぬ年上だと警戒しているのか。すると茂みの奥から少年が一人、雲雀の近くまで駆け寄ってきた。そして雲雀を指さし、こう言った。
「こいついけにえの家にすんでるやつだ!」
『いけにえ』という単語を聞いて、子どもたちの間に騒めきが生じた。しかし雲雀の心の騒めきは、その何倍にもなった。
「……生贄?」
冷たくて重い鉄の刃みたいなドスのある声が雲雀の口から漏れた。ほとんど無意識の言葉の冷気は、すぐさま子どもたちの間を駆け巡った。
「な、なんだよ。なんか文句あっかよ」
いけにえという単語を口にした少年は怯んだ。あんまり覇気のない見た目をしている雲雀といえども、まだ幼い子供たちにとっては十分に『大人』に見えるのだ。
『高圧的じゃあ、駄目だな』
それに気づいた雲雀は、逸る気持ちを抑えて、ゆっくりと言葉を吐き出した。同時に、頭を少し下げた。
「いや、教えて下さい。妖怪女とは、生贄とはどういう事ですか。」
一転して、やけに腰が低くなった男に子どもたちは、ほんの少しずつ警戒を解いていった。して、三分ほど経つと、全員が彼の周りに集まっていた。
「すっげーへんなヤツだなおまえ」
一番大きい、ガキ大将らしき少年がそう言うので、
「自分でもそう思う」と、言ってやった。
ガキ大将は腕組みをして考え、そして
「わかった。知らないならおしえてやる」
「!ありがとう」
また一段と礼を深くする雲雀を見て、ガキ大将は笑った。
「やっぱり変なヤツだなぁ。嫌いじゃないぞ」
大笑いし、その場へ腰を下ろすと、雲雀も倣ってその場に座った。
そして彼の口から真実が語られた。
村人と朧の関係、朧の家の事、そして風土記に記された怪物の事
語り終わった時、雲雀の両手は血が滲みそうな程に強く握られていた。顔には悔しさと怒りが貼り付き、唇を噛んでしまっている。
「……分かった、教えてくれてありがとう」
藪では遊ばないでね。と最後に付け加えて、雲雀は立ち上がって、子供らに背を向けて歩きだした。
「どこ行くんだ?」
ガキ大将がそう聞き、雲雀は答えた。
「少し、一人で考えたい」
覇気がなく、水で何倍にも薄めたような声だった。まるで芯の骨が無くなったみたいな雲雀を、子供ら皆が見ていた。
ガキ大将は、おもむろに立ち上がると、
「何かしよう、ってなら協力してやるよ。面白そうだかんな」
そう言って、ニヤリと笑った。
雲雀は、答えなかった。
子どもたちと別れた後、雲雀は家へ戻った。自分の部屋で仰向けになり、首を横にして開いた障子戸から外の景色を眺めた。蝶々がはたはたを宙を舞い、空へ溶けていった。
「――いいなぁ」
空虚に開いた瞳でそれを捉えながら、雲雀は誰に聞かせるでもなく呟いた。
「そりゃおかしな話だよなぁ。どこから来たのかも知れない俺みたいな奴に、留守を任せるなんてな」
彼の傍らには、まだ読んではならないはずの手紙がある。少し躊躇いながらも、彼は丁寧に開き、かなもじで書かれたそれを読み始めた。
朱村雲雀さま
まず始めに、私はあなたへ謝らなければなりません。私は親戚の看病に行った訳ではありません。あなたがこれを読んでいる時、もう私は既に死んでいるでしょう。
順を追って説明しますと、この村から見て北にあります山に、一匹の妖怪がいます。何時からそこにいるのかは分かりませんが、その者は周囲の村から代表して一人、五年に一度の生け贄を求めました。逆らえば、村を滅ぼすとして。実際に生け贄を拒み、村人が悉く殺された村もあったそうです。全員で遠くに移り住んだ村もあり、今ではこの村しか残っていません。
今年はその五年に一度の年。
そして私が今度の生け贄です。
それが武士の家系である私の家の役目なのです。妖怪を討伐し村を守るという理由で。
両親も十年前、五年前にそうして村を出ていき、帰って来ませんでした。二人とも非常に腕利きの武芸者でした。ですから私も帰る事が出来るのか分からず、こうして手紙を残すことにしました。
私が帰って来なければ、この家は断絶します。生け贄の役目も無くなります。
ですから、もしあなたに帰る場所が無いのであれば、どうぞこの家をお譲りします。村長さんたちには話を通してありますから。
素性は知れずとも、あなたが誠実な人間であるのは分かります。私がいなくなれば、どうせ滅びる家です。それならば、どんな事情であれ、あなたのように困っている人に任せたいのです。
どうか末永く、ご体に気をつけて下さい。
読み終えると、そっと閉じた。そして右の手の平で視界を覆い、手紙の内容とガキ大将から聞いた話を頭の中で照合した。
双方の内容に、齟齬はなかった。一度読めばすぐに分かる事だが、それでも尚、彼が反証を行ったのは、ささやかな抵抗だった。
彼は期せずして、立派な家屋を手にいれることができた。あとは畑作や稲作に従事すれば、元の世界へ帰らなくても、取り敢えず生きていくができる。そんな単純な話ではないが、それでも安定した生活を望むのに、もう外の世界へ出る必要が無くなったのだ。気負う必要もない。所有者から、所有者の意思で譲渡されたのだから。
しかし、表情に喜びなんてものは一片も無かった。安穏とした日々を望んでいたはずなのに、心の中は空っぽで虚しい。
これは何代も前から村人たちが決めてきたことだ。子供ですら知っていたことだ。余所者、新参者の自分が今さら偉そうな事を言える問題ではない。
だが
だが、しかし
「だけど、そんなの納得できるかよっ……!」
余りにも理不尽に思える運命に左拳を握りしめ、床を思いっきりの力で叩いた。同時に、自身の不甲斐なさにも歯噛みした。
自分以外の皆が、子供でも当たり前に知っていた事を、自分だけが知らなかった。環境や資料の不足といった原因もあるだろうが、圧倒的にリサーチが足りていなかった。きっと、もっと早くに知り得たはずだ。
だがしかし、もし彼女が出立する前に知っていたとして、どうしただろうか。
否、何が出来ただろうか。いったい、何を、何を、何を――。
「あぁもう。俺に何が出来るっていうんだ。俺は何故ここにいるんだよ。俺は……どうすればよかったんだよぉ……」
顔にかかった右手をすり抜けて、頬へ、床へと涙が零れる。何も知らない自分が、何の武勇もない自分では何も出来ない。それでも、彼女の為に何かしたかったのだった。
その後もウジウジと数分にわたって目元を腫らし、彼は無意味に疲労した。のそっとした動きで起き上がり、充血しきった目を開いた。天井を見れば、あの時から何ら変わりなかった。見ず知らずの自分を助けてくれた、あの時からずっと、朧のお荷物でしかなかった。それがやっと、留守番という頼まれ事で、少しは恩を返せると思っていたのに――。
「――恩返し」
雲雀の脳細胞に電流が走った。瞳には何やら決意めいた活力と希望が現れていた。
「そうだ……今しかない。今がその時だ。恩を返す、最後のチャンスだ!」
手紙は、3日戻らなかったら読めと言われていた。ならば、今から急げばまだ間に合うかもしれないではないか。
そう思った時、
こうしちゃいられない、と、彼は飛び起きて、すぐさま家のあちこちを駆け回り始めた。納屋を漁り、紐やら何やら便利そうなものを片っ端から集めた。だがこれで何が出来ると言うのか。
「いいや、やれ。やるんだやるんだ。とにかくやるんだ。やるしかない」
そんな言葉を呪文の様に唱えながら、雲雀はひたすらに用意を続けた。役に立ちそうなものを集め、持てる分だけ取捨選択を行った
吟味の結果、それでも選びきれず、大きな長細い箱と丸々詰まった大風呂敷を背負った。
「……もう少し減らそう」
やっぱりもう一度、荷物を下に下ろした。
つづく
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