3
祭りはあれからも続いていた。二月の上旬の極寒の日も、きっちりと時計のように行われた。わたしは最後の祭りの日を、不気味な思いで過ごしていた。満月は冬の澄み切った空気でより輝き、暈が見えるほどだった。母は駄々をこねるわたしを無理矢理連れて行った。よかやん、一回くらい行かんでもよかよ、と言っても、母は、圭吾君のお母さんがお茶とかお菓子とか用意しとるけんって言いんさったけん、行かんわけにはいかん、行くよ、と張り詰めた声で答えた。
祖母の念仏は今日も聞こえてくる。妹は、わたしに向かって泣きそうな顔で、お姉ちゃん、わたし寂しか、と言う。わたし自身、泣きそうだった。ジュンがさらわれてから、わたしはずっと祭りが怖くて仕方がなかった。
九時には帰るけん、とわたしは言った。妹は、べそをかきながら誰もいないに等しい家の中に残された。
祭りは、いつもより賑やかだった。味つけの何もない小さな握り飯が大量に大きなトレイに詰められ、隅に用意されている。酒と、榊の枝。麓の神社で奉納しているのと同じだ。それらが捧げられる。父はわたしにいつもより構ってくれた。頭を撫で、抱き上げて、お前はおれの宝物だ、と笑った。わたしはにこにこと笑い、少しだけいい気分になった。さあ、行ってこい。父はわたしを地面に下ろした。神様ば満足させんといかん。
今日の祭りでは、父がまず笛を吹くのではなく歌を歌い始めた。歌い慣れた、朗々とした声だった。
われらとちのたみみましあがめたてまつり
みましわれらとちのたみえらびとられ
みましわれらいれかわりたちかわりし
みましのよにてわれらぜんにきょうさるる
ありがたし
ありがたし
それからわたしたち子供は焚火の周りに円を作った。一学年上の早生まれの子もいて、九人の数え年九歳の子供が、踊る。火は、ここでは唯一の温かいものだった。風向きで温かい空気が流れてくるだけでも、ありがたい。火を見ると、妙に心が冴え冴えと静かになる。
笛は甲高く歌い上げるように鳴り、太鼓はとつとつと言葉を紡ぐかのように叩かれる。わたしたちは踊り、回り、円を崩さず、手を差し上げ、着物のたもとから向こう側を覗いた。
無心に踊っていた。父の笛の音で、わたしはトランス状態のようになり、祭りへの恐怖も、ジュンがいなくなったことも、早く帰って来てねと泣く妹の声も忘れた。火の周りを、踊り続けた。拙かった動きは、確信的で、しっかりしたものへと変わっていった。
ざざざざざ。藪の中から、何かがすごい勢いで近づいてきていた。わたしはそれでも踊っていた。ざざざざざ。何かがわたしの両脇から手を勢いよく突き出した。その次の瞬間には、わたしは手早く藪の中に引き込まれ、首根っこを捕まれ、淡々と踊り続ける仲間たちを残し、ざざざざざ、と藪の中を空気人形みたいに軽く、奥へ奥へと運ばれていった。
わたしを連れて行く人は、わたしと同い年くらいの少年のようだった。冬用のジャンパーを着こみ、ジーンズを穿いた、普通の人だ。不思議と怖さはなかった。というか、感情が麻痺していた。わたしは屠られる直前の羊のように、大人しかった。
農場に出た。背の低い木が整然と一面に生えている、山の中の果樹園のような場所。見覚えがあった。わたしたちは農場の隅の道具小屋の陰にいた。
これで大丈夫。少年はつぶやいた。わたしを見るその顔は普通の人間で、ひどく色白であること以外は何の変哲もなかった。少年はわたしに話しかけた。深刻な、心配そうな顔で。
お前、次の満月まで隠れとかんといかんぞ。少年はきょろきょろと辺りを見回した。わたしはわたし以外の人に言っているのかと、ぼんやりと聞き逃した。少年はしっかりとわたしを見た。切れ長の一重まぶたの目。聞いとるとか。隠れとかんと、食わるっぞ。
食わるって、どういうこと? わたしが夢見心地で訊くと、少年はそわそわしながらわたしに言った。お前はいけにえにさるっところやった。お前の父親は養鶏場をやっとるが、経営の成り立たんごとなった。お前をいけにえにして、養鶏場をまたやり直そうと思うとる。
いけにえ。わたしはぴん、と背筋を伸ばした。夢見心地はあっという間に消えた。そんなはずはなか。ジュンはいけにえにされたけど、わたしはお父さんの宝物やもん。
少年は呆れたように首を傾げた。お前なあ、お前の父親は浮気もしとるし、子供は大事にしとるが金と家のほうが大事やと思うとるぞ。わたしはきょとんとした。次の瞬間、ゆっくりと顔が歪むのを感じた。鼻の奥がつんとする。わたしは、うわああん、と泣いた。父がわたしのことを自分と金と家系よりも大事に思っていないのには気づいていた。わたしは捨てられ、妹は家のために残されたのだ。突然、妹への憎しみが湧いた。
泣くな! 少年はわたしの口を塞いだ。大声出すな、皆に気づかるっぞ。
気づかれたら、どうなるのだろう? まだ、少年の説明がピンときていなかった。少年はまた説明を始めた。
祭りが終わったら、こっそり町に降りてみろ。ここがお前のおった明日見町やなかことはすぐにわかるはずぞ。少年は口を湿した。それからもう一度言った。お前はいけにえや。おれらはお前を食う立場や。
あんたもわたしば食うと? 普通の人間やん。わたしが訊くと、少年は頭を掻いた。おれらはお前らとは立場が違う。おれらは神の子孫や。
神の子孫。わたしは吹き出した。ジュンばどうこうするからには神様はおるやろうけど、あんたみたいにそがんジーンズなんて穿かんと思うよ。
どがん説明すればよかかなあ。少年は顔をぽりぽり掻いて困った顔をした。お前たちが神社で崇める神、あれはおれらの始祖さね。始祖っていうのは伝説上の最初の先祖。おれらはそこから始まったと信じてきた。平安時代まで、この町はおれら一族の土地やった。鎌倉時代に入り、武士の時代になると、おれらは追い出された。殺され、追われ、山の中で追いはぎに遭った。おれらは始祖に念じた。おれらを助けてくれってな。おれらは始祖のいる世界に招じ入れられ、それからその世界で千年過ごした。お前らの世界とおれらの世界は全く違う。平行世界ってやつや。お前らの世界はおれらが滅びた世界。おれらの世界はおれらが生き延びた世界。だからお前らの世界では、神社でおれらの始祖が神としてあがめられつつも、土地は武士に治められ、その後は武士も滅びて今の時代になった。わかったか?
全くわからなかった。そもそも、わたしは当時八歳だったのだ。
何であんたたちはわたしたちば食べると? 恐る恐る訊くと、少年はあっさりとこう言った。うまいからや。そいだけ。だから子供を差し出した家には財を与えるとや。
どうやって食べると? わたしがなおも訊くと、少年は考え込み、こう答えた。
まず始祖が食べる。始祖は小さな木箱の中にいる。おれらは始祖と生きたままのいけにえを部屋で二人きりにし、食べているところを見ない。それから残ったものをおれらが食う。そがん感じやな。
ジュンは……。
ああ、うまかった。
ぞっとした。それまで子供を食べる食べないという話を話半分に聞いていて、実感できなかったのだ。でも、この少年の反応で気づいた。わたしは本当に食べられるのだ。
ジュンはいなくなった。つまり、死んだ。悲しいと感じる余裕はなかった。ただ、怖かった。
ジュンは、しばらくわたしの町におったよ。性格も変わって、全くの別人やったけど。わたしがふと言うと、少年は、ああ、とつぶやいた。ジュンカやな。
ジュンカ? ジュンコじゃなく?
おれらのクラスメイトや。女子。気が強かけん、おれは苦手やな。あいつはお前の町に遊びに行ったとさ。見破る言葉をかけられたら、おれらは液体になって人間の姿にはなれん。もう二度とお前の世界には行けず、自分の世界でしか人間の姿ではおられん。ジュンカはお前を憎んどるぞ。よほどあっちが楽しかったらしい。
わたしは黙り込んだ。少年はわたしの肩をぽん、と叩き、とりあえず隠れとけ。ひと月の辛抱やけん、と言った。
わたしは少年に連れられ、山の中の朽ちかけた家に入った。小屋と言ってもいい小さな家で、暖房はなく、べたべたした毛布が四枚だけあり、食べ物はおれが持ってくる、トイレは外で済ませとけ、と少年は言った。
ショウゴ、と人を呼ぶ声が聞こえてきた。圭吾の母に声が似ていた。やばっ、母ちゃんや、もう行かんばいかん、本当にじっとしとけよ、と少年は早口で言い、家を走り出た。わたしは一人、満月に見つめられながら毛布にくるまっていた。真っ白な息が顔の周りに溜まっていた。顔が痛いほど冷たい。わたしは一瞬、このまま食べられたほうが寒い思いをひと月もせずに済むのではないか、と思った。でも、そういうわけにはいかなかった。わたしを捨てた家だろうが、戻らないわけにはいかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます