76話 修学旅行 その1

 長野から新幹線で東京へ、そこから飛行機で沖縄。修学旅行一日目は移動から始まった。


 こういう移動方法は、この先あまり経験しないと思う。


「うぅ~……」


 隣で結乃がぐったりしていた。


 那覇市内を走るバスの車内である。

 クラスが四つなので、バスも四台。俺は当然のように結乃の隣に座らせてもらえた。


 真ん中辺りから男子と女子で別れているのだが、俺はちょうどその境界線に座っている。


「結乃、大丈夫か?」

「あ、あんまり……」


 飛行機が降下する際の揺れで気分が悪くなったらしい。


「あたし、飛行機苦手かも……」

「結乃も初めてだったのか?」

「うん」

「あの感覚は確かに慣れるのに時間がかかりそうだ」

「あたしは一生長野県民でいい……」

「そこまでかよ」


 重症だな。


「結乃~、大丈夫?」


 うしろの席から星崎が顔を出した。


「莉緒、あたしのことはもういいから……」

「何そのもうすぐ死ぬみたいなセリフ」

「星崎、結乃はマジでダウン寸前だぞ」

「まさかここまで飛行機に弱かったとはね」

「弱くてもいいもん。もう乗らなければいいんだもん」

「あららら、こじらせてる」

「星崎は飛行機乗ったことあるか?」

「私は家族でちょくちょく旅行に行くからね。九州とか北海道とか」

「さすがは富裕層……」

「道原君ってほんとさりげなくきつい言い方するよね」

「すまん。金持ちって言うよりはマシかと思って」

「気のつかい方が変だよ」

「そうか……」


 怒らせてしまったか?


 不安になったが、結乃をかまっている様子からして気分を害したようには見えない。大丈夫そうだ。器が大きい。


 いったん二人から視線を外し、外を見た。


 市街地をバスは走っていく。


 よく晴れていて、道行く人々はみんな薄着だ。ブレザーの下にカーディガンを着ている俺たちとの差がすごい。


 バスガイドさんは、沖縄ではスギ花粉の飛散量がとても少ないので花粉症の人はほとんどいません、と説明していた。うらやましい……と結乃がつぶやいていた。


     †


 行程を終えて宿に着いたのは夕方六時だった。


 一日目はユースホステル、二日目は高級ホテル、三日目はビジネスホテルというのが今回の宿泊先だ。


 割り振られた部屋には二段ベッドが複数入って、一部屋に八人ずつ泊まれるようになっている。


 ユースホステルは他の旅行者と相部屋になることもある施設だが、さすがに学生の団体となるとクラスメイトだけで部屋が埋まる。


 とはいえ、石山と違う部屋なので仲のいい奴が一人もいない。


 男友達を作らなかった弊害がここに来て出た。明日まで会話せずに終わるかもしれない。


 ……と思っていたのだが、相部屋の男子勢からものすごい勢いで結乃との関係について質問されまくった。


 普段は話しかけるきっかけがないのでみんな近づいてこないが、気になってはいたようだ。


 俺は情報を小出しにして、重要なことは話さないようにした。例えば結乃の家に泊まったこととか。


「結婚とか考えてる?」


 そんな質問もあった。


「俺は本気だよ」――と答えてもよかったのだが、それを最初に言うべき相手は結乃本人だ。なので適当にはぐらかした。


 食事をして入浴も済ませると、あとは消灯まで自由時間だ。


 相部屋の男子たちはゲームで盛り上がっていた。

 ゲームハードを持ち込んでいる奴までいたのにはさすがに驚いた。


 俺はやることがなかったので、二段ベッドの上からゲーム画面を見ていた。人気の狩りゲーということは知っているが、俺はゲーム自体をやらないので画面上で何が起きているのかはよくわからない。


 ……寝るには早すぎるな。


 まだ九時前。

 せっかくの修学旅行なのにこのまま就寝は味気ない。


 どうしようかな。


 困っていると、携帯が鳴った。結乃からだ。


「もしもし?」

『こんばんは~、誰だかわかる?』

「星崎か?」

『正解! 結乃の携帯借りてまーす』

「どうしたんだ」

『あのさ、今からあたしたち部屋出るから、道原君来てくれない?』

「は?」

『部屋に結乃だけ残していくから、介抱してあげて』

「あいつ、まだ調子よくないのか」

『そうみたい。ここは彼氏のパワーで癒してあげてよ』

「わかった。見つからないうちに決行するか」

『じゃ、部屋の番号教えるから頑張ってね』


     †


 通路に先生が立っているということもなく、俺は難なく結乃たちが泊まっている部屋に到達した。


 女子の領域だと思うと心臓によくないが、俺は誘われたから来ただけだ。堂々としていよう。


 ドアを押し開けると、俺たちの部屋とほとんど同じ間取りの部屋が現れた。壁は真っ白で、スタンドの黄色い光が室内をぼんやり照らしている。


「結乃、いるか?」

「……風雅?」


 声は奥の二段ベッドの下段から聞こえた。


 結乃はそこで横になっていた。半袖シャツになって、タオルケットをかけている。


「なかなかよくならないみたいだな」

「緊張してるせいかも……」

「力が入りすぎて悪化してるのか」

「ごめんね。せっかくの時間なのに……」

「気にするな……と言いたいところだが、俺も結乃にかまってもらえないのはさみしい」

「えい、えい」


 ぺしぺしと結乃が俺の二の腕を叩いてくる。かまっているつもりらしい。かわいい。


「俺もそこに入っていいか?」

「ええっ? そ、それはダメよ。みんなどのくらいで戻ってくるかわからないのよ? もし鉢合わせたら学校生活が終わるわ」

「じゃあキス」

「ん……短くだったら……」

「やった」

「よいしょ」


 結乃が上半身だけ起こした。

 久しぶりに薄着の結乃を見た。夏以来だ。半袖一枚だから起伏がよくわかって、なんだかドキドキしてしまう。


「や、やるなら早く」

「お、おう」


 俺はベッドの柵に両手をつき、顔を伸ばした。


 少し体を斜めにして、結乃の唇に合わせる。


「うっ、むうっ」


 結乃が俺の肩を叩いた。慌てて離れる。


「す、すまん。強引だったか?」

「そ、そうじゃなくて唇が右にズレてたの。もっと真ん中に合わせてほしかったから」

「あ、ああ……」


 どうやら俺も無意識に焦っていたようだ。

「ふう」と息をつき、ゆっくり結乃の唇に、自分の唇を重ねた。


 唇が熱を帯びる。

 体の奥から熱が噴き上がってくる。


 もっと強く押し当てたい。

 そんな気持ちを抑え込んで、俺は顔を離した。


 短く、という約束だから。


「だ、誰も来てないわよね」

「大丈夫そうだ」

「よかった……」

「ありがとな、結乃」

「ううん、こっちこそ。ずっと心配かけちゃったし」

「明日はよくなってるといいな」

「そうね。そしたら一緒に水族館を見て回りましょ」

「ああ、約束だ」


 視線を合わせ、小さく笑う。


 結乃がぐっと近づいてきた。唇が再度触れ合い、すぐに離れた。


「短く二回も、ありでしょ?」


 照れたように微笑む結乃に、俺は深くうなずく。


 どんな時、どんな状態だろうと、結乃が最高の彼女であることは揺るがない。


 その事実をあらためて感じた旅行一日目であった。

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