70話 クリスマスの夜 その3
夜十一時を過ぎて、いよいよやることがなくなってきた。
ずっと一年を振り返っておしゃべりしていたが、さすがにネタが尽きてきた。
こうして今年の出来事を思い返していると、クリスマスというより年末の雰囲気もある。しかし、特別な日には過去を思い出したくなるのだ。
「ふああ……」
結乃があくびをした。
「風雅、もう寝る?」
「そうだな、寝るか」
「じゃあ歯磨きしてくる」
「俺も俺も」
くっついて洗面所に行った。
二人で熱心にしゃかしゃか歯を磨く。泊まりだと歯磨きはしないこともあるが、今日はしておきたい気分だった。
このあともしかしたら……なんて思うからだ。
口をすすいで居間に戻る。
結乃は部屋に行って、大きな枕を持ってきた。今日はこたつで寝るのだ。
「これなら風雅も入れるわよ」
「ありがとう」
早速、二人でこたつにもぐった。
枕は俺と結乃の頭が乗ってちょうどいいくらいの大きさだった。
左下になって向き合うと、いつもよりずっと結乃の顔が近い。
俺は結乃の背中に腕を回した。結乃の顔が少しずつ赤くなってくる。今日も変わらずわかりやすい。
「風雅、言っておきたいことがあるの」
「おう」
「あの、風雅は……その、そういうことしたいって思うかもしれないんだけど……」
「……」
「あ、あたしはまだ勇気が出せないから、今夜はできれば待ってほしいかな、とか……」
あわあわした口調で結乃が言う。俺はうなずいた。
「わかってる。俺もそのつもりはなかったから」
「ほ、ほんと? がっかりしてない?」
「してないさ。というか、もし結乃の方から言ってこられてもできないぞってヒヤヒヤしてたくらいだ」
「できないの?」
「け、けっこう小心者なんだよ。責任持つ覚悟がないっていうか」
「そっか」
結乃の表情が穏やかになった。
「でも、いつかは踏み出さなきゃね」
「そうだな。でも、今夜は勘弁」
「よかった。失望されなくて」
「俺がもしその気だったとしても、結乃が嫌がることはしないぞ。俺だけいい思いをしようなんて最低だ」
「ふふっ、あなたのそういうところ、信頼してるわ」
結乃も俺の背中に腕を回してきた。
「じゃあ、風雅はどこまでならできる?」
「え?」
「何かしたいこと、ある?」
「……ずるい訊き方だな」
「風雅の口から聞きたいの」
俺は結乃の目を見つめる。
「キスは、したい」
「あたしもよ、風雅」
彼女の腕に力がこもるのがわかった。
俺は顔を寄せて、結乃の唇を封じた。
横向きだとうまく合わせられない。
左腕で体を持ち上げ、結乃の顔に上から覆いかぶさるようにする。
強く唇が触れ合った。
熱い。
ミントの香りが強い。
結乃が俺を引き寄せる。さらに深く、唇が重なる。
彼女の唇は柔らかく、しっとりしている。
幸福が俺の中ではじける。
この、ケーキよりずっとずっと甘い口づけに、頭の中がとろけるようだ。
「ん、ん……」
結乃があえぐ。少しだけ、唇を離す。
「結乃、大好きだ」
「風雅、愛してる」
そして、俺たちはまた唇を合わせた。
無限の時間が流れていくような感覚。
ああ、もう何も考えられない……。
†
「すごかったわ、風雅」
しばらくして、俺と結乃はさっきのように見つめ合っていた。結乃の額にはかすかに汗が浮かんでいる。
「今までで一番すごいキスだった」
「俺も、途中から何も考えられなくなったよ。本当にすごかった」
「風雅が乗っかってくるからどうしようかと思っちゃった」
「大丈夫だ。理性はしっかり仕事したから」
「何も考えられなかったんでしょ?」
「無意識の理性だよ」
「よくわかんない」
結乃は笑った。
「今、とっても幸せ」
「ああ、最高だな」
「明日、目が覚めたら夢だったなんてオチじゃなければいいけど」
「安心しろ。俺は変わらず横にいるぞ」
「……うん」
結乃に抱きしめられる。俺も結乃を引き寄せた。
今夜は、人生でもっとも幸せな夜になった。
結乃の気持ちが、俺にはよくわかった。
俺も願う。
これが、夢ではありませんように。
†
……娘と彼氏はおそらく一緒に寝ていると思うので、そろそろ家に入ってもいい頃だろう。
私は家の戸を開けて玄関で靴を脱いだ。
忍び足で廊下を進み、居間の障子を開ける。
オレンジの光の下、結乃と風雅君が抱きしめ合って眠っていた。
見た以上の関係にはならなかったように思える。
思わず笑いそうになった。
……本当に慎重な二人だ。
私は二人の枕元に箱を置いた。中身は写真スタンドだ。結乃がここに写真を入れてくれたら嬉しい。これが今の父親に思いつく、精一杯のクリスマスプレゼントだ。
二人を起こさぬよう、そっと居間を抜けて自分の部屋に行った。
あの気難しかった結乃が、クリスマスに彼氏を呼ぶことになるとは。
運命の人というものは確かに存在するのだと思い知らされた一年だった。
自分の娘が、好きな相手と一緒に眠っている光景を目にするなど想像できたか?
いや、考えられなかった。
私の娘を変えた存在。
私の想像を軽々と超えていった道原風雅という少年。
……さすがだよ風雅君。きみはなかなかやる男だ。
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