29話 手をつないで歩こう

「道原にしては遅かったわね」

「いやいや、まだ約束の三十分前だから」


 日曜日の午前中。

 からっと晴れて散歩日和だ。

 俺と結乃はいつもの十字路で合流した。昨日、一緒に歩こうと約束したのだ。彼女が俺の趣味を理解しようとしてくれていて感激である。


「というか、いま名字で呼ばなかったか」

「あ……忘れてた」

「結乃さん、しっかりしてください」

「し、仕方ないでしょ! 変えてすぐは忘れることだってあるわよ! からかわないで!」

「どうしようかな~、このくらいで許してあげてもいいが……」

「でも……風雅にからかわれるの、嫌いじゃないよ」

「うぐっ」


 顔が熱くなった。


「あ、赤くなってる。どうしよっかなぁ、このくらいで許してあげようかなぁ」

「すみませんでした……」


 調子に乗ると隙を作ってしまうことがよくわかった。


 今日の鏑木はカーキ色のワンピースを来ている。丈は膝より下くらい。


「かわいいな、結乃」

「い、いきなり何よ!?」

「私服がいいなって話」

「あ、うん……ありがと。今日はお散歩だし、軽めの服にしてみたの」

「すごく似合ってる」

「よかった。どこまで歩くの?」

「結乃が行ける範囲で。俺はいくらでも合わせられるからさ」

「じゃあ、とりあえず青木島のツルヤまで行かない? 歩いて行ったことないから、まずはそこまで」


 結乃がいつも買い物に行くスーパーのことだろう。


「よし、じゃあ目標はツルヤで」

「がんばろっと」


 俺たちは歩き始めた。


「けっこう日差し強いわね」


 結乃がつぶやいて、麦わら帽子をかぶった。……は?


「何それ、かわいすぎるだろ」

「えっ……だってよく晴れてるし、帽子かぶらなきゃ顔が焼けちゃうじゃない」

「ワンピースに麦わら帽子ってお嬢様みたいだな」

「それは莉緒の方。あたしはただの一般人よ」

「見た目の話だよ。今の結乃、めちゃくちゃお嬢様っぽい」

「い、いい帽子が見当たらなかったの! これは仕方なく選んだだけで、受けなんか狙ってないからね!」

「誰もそんなことは言ってないよ」

「で、でも……」

「でも?」

「麦わら帽子はちょっとあざといかなって、思ったりして……」


 すごく恥ずかしそうに言う。


「全然そんなことないよ。似合ってるんだから堂々としててくれ」

「う、うん」

「結乃、かわいいのに見た目の話になるといつもネガティブなこと言うよな」

「莉緒と友達だからよ。あの子はスタイルもいいし、あたしと違って目つきも優しいし、褒めるところしかないもの」


「でも、俺が結乃の見た目を好きっていう以上に重要なことあるか?」


 やばい。また勢いだけで言ってしまった。大げさすぎたか?


「…………」


 返事はなかった。

 横を向くと、結乃はほっぺを手で押さえていた。前は顔を赤くするところを普通に見せてくれたが、最近は手で隠すことが増えてきた。それはそれでかわいいのだが。


「ふ、風雅」

「なんだ」

「ちょっとあっち向いてて」

「お、おう」


 俺は反対側を見た。

 結乃が深呼吸しているのが聞こえる。


「ふう……」

「落ち着いたか?」

「心臓が止まりかけたわ」

「そ、そこまで大げさな話じゃないだろ」

「あなた、自分の言葉がすごく強いってわかってる? あたしは毎回ドキドキさせられっぱなしなのよ」

「えーと、謝るべき?」

「そんなのいらない」


 不意に、右手が温かくなった。

 結乃が手を握ってきたのだ。


「謝らなくていいから、手をつながせて」

「どうしてその流れになる?」

「なんでもいいでしょ。あたしだってグイグイいきたいのっ」


 ぎゅっと、握られた手に力がこもる。


 小さな手だった。

 結乃の方から勇気を出して掴んでくれたのかと思うと、胸が熱くなる。


 俺たちはしばらく何も言わず、手をつないで歩いた。

 橋を渡り、歩道を行き、Y字になった道を右へ進む。


「もっとドキドキするかと思った」


 目的地がもうすぐというところで結乃が言った。


「案外、そうでもなかったか?」

「風雅の手、包まれてるみたいですごく落ち着いたの」

「…………」

「照れてる?」

「べ、別に」


 結乃が、握っている手に力を入れたり弱めたりする。


「いいなぁ、風雅の手。また一つ好きなところが増えちゃった」

「ありがとうございます……」

「出た、敬語。ほんとに褒められるの苦手なのね」

「どうしてもな……」

「これからもどんどん好きなところ見つけていくから覚悟しときなさいよ?」


 楽しそうに結乃が笑う。

 俺は、どんどん体温が上がっているのを感じていた。


 褒められたことだってあるにはあるが、結乃の言葉は特別なのだ。初めて心から好きになった相手。そんな人から温かい言葉をもらったら……それこそドキドキしてしまう。


「……ああ、楽しみにしてるよ」


 やっとの思いで、それだけ返せた。


 けれど受け身になっていてはいけない。向こうがグイグイくるというのなら、俺だって同じように向かっていく。結乃のいろんな表情を見るために。

 まだまだ恋の駆け引きは終わらないのだ。


     †


「結乃、大丈夫か?」

「無理ぃ……風雅、バス乗ってもいい?」

「……まあ、一回目だしな」


 帰り道。

 すっかり疲れてしまった結乃を励まし、俺たちはバスで来た道を戻ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る