3話 なんだか家庭が厳しいらしい

 俺は丹波島橋の上から川の流れを見つめていた。

 丹波島橋は犀川さいがわの上に架かっている橋で、長野市街地と川中島方面を結ぶ交通の要衝である。


 もう日が沈んでしまう。

 このままボーッとしていたらさすがにまずいか。


 俺は今日の出来事を思い返していた。

 鏑木結乃という人物の存在にすっかり心を奪われてしまった。学校より散歩の方が大事だぜ! などと言っていたが、これは学校に行かざるを得ない。


 星崎莉緒が美人で人気があるのは認めるが、だったら鏑木だって人気がありそうなものだが。当たりがきついからそうでもないのだろうか?


 俺は考えながら歩き出した。

 チリン、と自転車のベルの音がした。道を塞いでいたようだ。


「すみませ――」

「道原?」


 自転車でやってきたのは鏑木だった。あれ、いま呼び捨てにされなかったか?


「まだ帰ってなかったの?」

「黄昏れてたんだ」


 鏑木はジーパンに厚そうなパーカーという格好だった。自転車のカゴに買い物袋らしきものが入っている。


「買い出しか?」

「まあね。家の近くに大きなお店がないから」

「ふーん。これだけの時間ですでに着替えているということは、学校と家はそんなに離れていないのか」

「あっ、住所特定しようとか考えてない? 絶対にやめなさいよ」

「やらんわ。信用なさすぎだろ」

「だってあなたのことよく知らないし、そのわりになんか馴れ馴れしいし……」

「元からこういう性格でな。人見知りとかしないんだよ」

「……意外にすごい人なのね。なにか初対面の人とも気軽に話せるコツがあるの?」

「さあ。ただ、歩き回ってると色んなところに寄りたくなるからな。店主とかその辺のおばちゃんとはよく話すよ」

「要は慣れってわけね」

「そうだな。痛い目も見てはきたが」

「というか、しゃべり方もなんか独特な気がする」

「それはあるかもしれん。これも癖だよ」


 ふうん、と鏑木はこぼした。

 俺は脇に避けたが、鏑木は動かない。


「学校休んでなにしてるの?」

「適当にその辺を歩いてる」

「お散歩ってこと?」

「まあな」

「いいご身分ね」


 言葉はきついが言い方はきつくない。


「でも、ちょっとうらやましいかも」

「お、わかってくれるか」


 鏑木は髪をつまんでいじった。


「あたしと莉緒って家が隣同士なのよ」

「幼なじみなんだな」

「莉緒の家はお金持ち。うちは平均以下かな」


 反応に困る。


「そのせいか、うちのお父さんって「せめて品のいい女子になりなさい」とか言ってきて、あれこれうるさいの。ルールに縛られまくってるわけ」

「なるほど。それで自由気ままな俺がうらやましいのか」

「だからぁ、自分からそういうこと言わないでよ」


 はあ、と鏑木はため息をつく。

 ところでいま気づいたんだが、俺たちけっこう話し込んでないか。俺のことは信用できないんじゃなかったっけ。


「莉緒はご両親も優しくてやりたいことをやらせてもらってるの。うちもそういうスタンスを見習ってほしいんだけど」

「親父さんは教師かなにか?」

「当たり。よくわかったわね」

「なんとなくな」

「ドラマに出てくる一昔前の教師っていうか……融通が利かないのよね」

「じゃあ、その髪の毛は怒られただろ」


 鏑木の髪は赤みがかっている。遠くからでは気づけなくとも、近くで見るとよくわかるのだ。


「これはせめてもの抵抗。散々ケンカしたわ。莉緒が仲裁に入ってくれなかったら大惨事になってたわね」

「隣人に止められるって、親子げんかの域を超えてないか?」


 う……、と鏑木が言葉に詰まる。


「と、とにかく、そこまであたしのことを心配してくれる莉緒が大切ってこと! だからあなたもあの子に迷惑かけないようにして!」


 強引に話題を切ってきた。


「わかった。気をつけるよ」

「ほんとにお願いね。――じゃあ」


 鏑木は自転車を漕いで去っていった。


 そろそろ帰るか。

 俺は来た道を引き返す。ただ橋の上でぼんやりしたかっただけなので、川の向こうへ行くわけではない。俺の性格を知らない人間からしたら、なぜそんな無駄なことを、と思うだろう。


 俺は無駄なことが好きなのだ。寄り道回り道が大好きだ。そのためならいくらでも時間をかけられる。それが今日のように、面白い出会いにつながったりもする。やめられるわけがない。


 鏑木の事情も少し聞けたし、有意義な時間だった。

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