売店係の誕生日
帰宅したステラの目に飛び込んで来たのは、赤と白のリボンを持つ義兄の後ろ姿だった。
この時間に彼が居るのは珍しく、つい背中を凝視してしまう。
彼は敷地内にステラが入っているのは、とっくに気が付いているんだろう。驚いた風でもなく振り返る。
「おかえり、ステラ。日が沈む前に帰って来てくれてよかったよ」
「ただいまですー。今日はお仕事どうしたですか?」
「プールを仕上げたいから、午後から半休にしたんだ」
「プレゼントだから?」
「そうそう」
今日の朝までは空っぽだったプールには、透明な水が入れられていて、風が吹くたびに小さなさざ波が立つ。
その音に聞き入りながら、ジェレミーの近くまで歩いて行くと、何故かハサミを握らされる。
「ハサミを片付けろってことですか?」
「違うよ。そのハサミで、2つのリボンを切るんだ」
「せっかくジェレミーさんが飾り付けたのに?」
「ステラに切らせる為にリボンを設置したからね」
「ああ! テレビでそういう行事みたことあるかもです!」
「うん」
「人間の世界では、リボンを切る行為は『解放』を意味するようだな」
「ふむぅ」
プールの上空を旋回していたアジ・ダハーカにマメ知識を教えてもらい、ステラは深く頷く。普段は格式ばったこととは無縁だけれど、こういうのもたまには楽しい。
「ほいでは切ります!!」
「
カメラを連写させるジェレミーの前でチョキンとリボンを切断する。
切る前と切った後で何も変わらないプールではあるが、自分の手で解放したという気持ちになり、気分は悪くない。
「おめでとうステラ」
「いい日だな。めでたいぞ」
「ありがとうなんです! でも今日って、私がこの家に来た日なんですか? それともお母さんが出産した日?」
前々から気になっていた事を質問してみれば、目の前の者達の動きが止まった。
言いづらい内容なんだろうか?
「うむ……。なんと答えたものか」
「ビシっと! 直球で聞きたいんです!」
「そうか。ならば言おう。お主は人間のメスから出産されたわけではない」
「……ん?」
「今日は人間として生きることになった日だな」
出産されていないのに、生きることになったとは、一体どのような意味なのか。
妖精の国に行った時、もしかすると一度死んでいるかもしれないと聞いたけれど、それと関係あるのかどうか。
少し考えても全く分からない。
もう一つくらいヒントが欲しくて、相棒に問いかけようと思ったが、彼はバサリと翼をはばたかせ、遥か上空に飛んでいってしまった。
「逃げた……」
「どうやって誕生したかなんて、どうでもいいじゃない。君はこの家の子で、僕の妹。これは間違いないんだから」
「そうだけど」
ステラはこの家で甘やかされて育った。
しかし、ジェレミー達親子の絆を幾度か目の当たりにし、羨ましくなかったかというと嘘になる。
口に出してはいけない言葉を飲み込むと、いつもみたいに、苦い物を食べた時のような感覚になった。
俯くステラの頭は大きな手でグシャグシャに乱された。
「夕暮れまで後わずかかな。少し泳いでみたらいいよ。はい、これ」
「何ですか?」
ジェレミーがポケットから取り出したのは、ピンク色の布切れだ。
暫く見て、思い出す。
「あ! これ、ジェレミーさんがこの前
「返そうと思ってたんだけど、よく見ると可愛かったからさ」
「その理由変なんです! 返せぇ!」
奪いとるようにして、水着を取り返すと、シワシワのホカホカになってしまっていた。
「人肌の温度! こんなの着れないです!」
「他の水着も用意してあるよ。ノジさん、あれ持って来てー!」
「はい、ただいま」
ちょうど庭に出て来ていた家政婦が一度母屋に引っ込み、何かを手にして戻ってくる。
ノジさんが持つマネキンが着ているのは、白地のワンピース型の水着で、胸の辺りに赤いスパンコールで”妹ラブ”などと書かれていた。
「手縫い!?」
「刺繍だけじゃなくて、全部僕が縫ったんだよ。気に入ったかい?」
「気に入るわけないんです! だいたい、私はジェレミーさんの妹なのに、”妹ラブ”って書かれた水着を着るのは、おかしいんです!」
「そう?」
怒りと恐怖でブルブルと震えるステラの背後から、第三者の足音が聞こえてきた。
「ステラさん、お待ちになって!」
「ん? その声は?」
現れたのは、本日彼女の妹のお墓に行っていたはずのエルシィだった。
黒いドレスとベールが退廃的で美しい。
「本日はステラさんの誕生日なのでしょう!? 風の噂でステラさんが水着を持っていないと聞いたものですから、仕立て屋に作らせたのですわ!」
「ふぁぁ……、嫌な予感」
ドレスの裾を大胆に捌きながらステラとジェレミーの間に割り込んだ彼女は、恥ずかしそうに頬を染め、モフモフなプレゼントを取り出した。
「ステラさんだったら、可愛らしいのがお似合いかと思いましたので、ネコミミのフードと尻尾を取り付けさせたのですわ。是非着てみて貰えないかしら!?」
「水着なのに、毛だらけなんですっっ!!」
「はぁ……全然分かってないですね。こんな水着を着て水に浸かったら、ステラは溺れ死んでしまいますよ」
「それは、問題ありませんわ! 何故なら、私が一緒に泳ぎますもの! ステラさんが溺れそうになったら、助けます! それに、持って来たのはこの一種類ではないのですわ!」
「ふぅん……。僕もあと3種類程縫ってあるんだよね」
次から次へと出て来る水着にゲンナリしている間に、太陽はとっぷりと海に沈んでいったのだった。
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