第2話 異変
両艦隊は横須賀基地より出航し、目標海域での訓練を含めて帰港まで、およそ二週間の予定であった。
航行三日目、アメリカ海軍の艦隊と海上自衛隊の艦隊は、お互いに艦の間隔を保ちながら、順調に南進していていた。
その日の朝は穏やかな快晴だったが、空に雲がかかってきたと思うと薄暗くなってきた。さらに時間が過ぎると、霧が出てお互いの艦が目視では見えなくなるほどまで視界が悪化した。
艦橋にいた朝永艦長は、長年の経験からこれから大しけになりそうだと予感した。
「どうにも荒れそうだ。各員対応にあたってくれ」
すぐに、艦隊全体へ指示が伝えられた。
各員が対応にあたって各所から完了の報告があがるころには、波のうねりが徐々に強くなり、雷鳴がそう遠くないところで響いている様子がうかがえた。
「各艦、操舵に注意!」
「距離を保て!」
「各員、再度持ち場の確認! 固定されていないものはないか?」
「格納庫、艦載機の状況を再確認せよ!」
艦内、艦同士の間で短く指示が飛びかった。対応にあたる乗員がきびきびとした様子で行きかい、艦内は一時騒がしくなった。
しばらくして各部署から完了の報告が全て出揃うと、艦内は一種の静けさに包まれた。どこにいても波で艦が揺れていることが身体ではっきりと感じられた。
「これはまた、この時期にしてはずいぶん荒れてきた。爆弾低気圧か?」
艦長は聞いたが、報告をした部下は硬い表情をしていた。
「艦長。それが、奇妙な状況です」
「どいう意味だね?」
「気象衛星からの情報では、この一帯には現在、低気圧どころか雨雲も無いはずなんです」
その言葉に朝永艦長も眉をひそめた。
「それは、何かシステムのトラブルかね?」
「分かりません。調査をはじめています」
「他の艦では、どのようなようすだね?」
「はい、波浪への備えは完了しました。ただ、気象情報は同様です」
「わかった。それからアメリカ海軍の方は、どうしている?」
「ええ、向こうは向こうで、対応しているとのことです。ですが、衛星通信に関しては明言を避けました」
「そうか」艦長は苦笑した。「まあ、らしいことだな。じきに何か言ってくるだろう」
「ただ、各艦は密に連絡をとるように。それと互いの位置は常にレーダーで、」
そのとき見張り員が声を上げた。
「き、来ます! 大波です!!」
その声は上ずっていた。直後、どこか掴まらなければ立っていられならないほど大きく揺れた。
左舷側前方から大量の海水が押し寄せ、水の壁が艦橋にぶち当たった。悲鳴のように各部が軋んだ音を立て、揺さぶられ、感覚的にはほぼ真横に倒れているのではないかと思えるほど、艦が傾いた。
壁のような波はあっという間に飛行甲板上を後方へ流れていく。さらに復元力によって艦は左右に大きく揺れた。
巨大な見えない力に引きずられているかのようだった。
「なんという波だ」
「各艦、状況の確認!」
「来ます! 波、さらに来ます!」
巨大な波浪は次から次へと襲来し、艦隊はもまれた。
とりわけアメリカの艦隊にとって、経験のない悪夢のような波に思えた。
「アメリカの艦隊はどうしている?」
朝永艦長は近くにいた副長に聞いた。
「はい、」八木は艦内通信用の受話器を手にしていた。「通信によると、向こうもこちらのことを気にしているようです」
「そうか」
「それと、久しぶりに乗組員が船酔いになりそうだと……」
朝永艦長は一瞬、あっけにとられた。そして、それが冗談だということを理解して小さく笑った。
「なかなかジョークを言う余裕があるようだな。しばらくは大丈夫そうだ」
ただ、大波は収まる気配がなかった。艦隊はまるで、急流を流される木の葉のような状況だった。
艦の周辺で、真横に向かって稲妻が走った。
艦隊は翻弄された。手練れの乗員でさえ、もしかすると護衛艦が完全に転覆するのではないかと感じるほどだった。
雷鳴がすぐ近くで鳴り響いているのではないかとおもうほどだった。
唐突に、全体が落下するかのような感覚とともに艦隊の周囲が真っ白い光に包まれた。
艦橋から外の様子をうかがっていた乗員たちは、失明するかと思うほどだった。目撃した誰もが、落雷が艦隊のどこかに直撃したと考えたのも不思議ではなかった。
さらには停電が発生した。どうやら、すべての艦で停電が起きた様子だったが、すぐに復旧した。またぞろ乗員たちは各部の確認作業に追われた。
ともあれ、それから悪天候の状況は、長く続かなかった。始まったときと同じくらい、急速に海が穏やかになり、辺りを包んでいた濃い霧は、まるで巨人が手で払ったかのように消えていった。あたり一面おだやかな海となった。
「どうやら、無事に嵐は抜けたようだな」
朝永艦長はほっとした思いだったが、部下たちは、にわかにあわただしくなった。
「CDCから報告。通信に問題発生です」
「具体的には?」
「人工衛星とのリンクが復旧できない模様です」
「それは、落雷のせいか?」
「はっきりと分かりません。目下調査中です」
「よろしい。とにかく、各艦から、怪我人や内外の損傷の有無、現状を簡潔にまとめて報告するように伝えてくれ」
「了解です」
再び、どこの艦内もあわただし動きが見られた。
しばらくすると、続々と報告が上がってきた。
「現在、損傷は軽微です。いくらか打撲や裂傷による軽症者が発生しています」
「ひとまず、機関や装備に重大な懸念は無いということだね?」
「はい。航行にも影響はありません」
「通信関係はどうなったね?」
「各艦との通信は問題ありません。人工衛星とはいまだ不通、横須賀基地とは現在復旧作業中とのことです」
「分かった。それと、アメリカの艦隊の方は?」
「無事に乗り切った様子です。こちらと同様、一部で乗員の怪我や設備の軽い損傷がある様子です。いずれにせよ彼ら自身で対処できるとのことです」
「まあ、大事にはならなかったようだな」
そのとき、アメリカ海軍の空母〈エンタープライズ〉のCDCでは、異変をはっきりと感じ取っていた。
「おかしい……」
通信要員のジャック・クーロンは呟いた。
そのとき、別の一人が声をかけてきた。
「それで、通信衛星とのリンクはどうなった?」
「ああ、何度やっても再確立できない。復旧できないぞ」
「本当か?」
「ええ」
「それが、海上自衛隊の方でもらしい」
「それは本当かい?」
「うん、つまりは艦隊のすべての艦が、衛星との通信ができていない状態のようだ」
「おかしいだろう? それはさすがに」
「それに、ヨコスカとの」
だが、別の要員が大声をあげて会話が遮られた。
「大変です!!」
「そっちはなにごとだ?」
「消えてしまいました!」
その声に、今度はジェルマン指揮官が応えた。
「どういう意味なの? 通信が切れたままということ?」
「いいえ……それが、ソナーから消えてしまっています!」
「何を言っているの?」
「指揮官殿、ご自分の目で、確認ください。海上自衛隊の空母〈とさ〉と、我がほうの潜水艦〈アリゾナ〉以外、消えてしまってます。通信も応答がありません!」
「まさか、沈没したとでも言うの?」
しかし、ともに行動中であるはずの艦船は、たしかにレーダーから消失していた。
「それで……では、〈アリゾナ〉に海中の様子を調べさせるように連絡を」
「了解しました」
「それと、フランクリン艦長にも至急報告!」
しばらくしないうちに、日米両艦隊は、艦隊全体がなにか異常な事態に遭遇しているのではないか、という思いにつつまれはじめた。
さらに、海域は小笠原諸島近海であり、海図によれば見えるはずの島が、レーダーでも確認できなかったのだ。横須賀の基地どころか、どの基地とも通信が繋がらず、民間を含めたどの周波数帯でも通信が確認できないと分かると、艦隊全体に動揺がおきた。
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