心当たりはありますか?

 はじめから、タイムリープなどしていなかった。

 全ては機械的に、技術的に演出された過去の光景——それに似せた何かであった。

『肉体の枷、魂の自由』とは、よく言ったモノだ。

 トワはこれまでのことを整理する。

 今頃、本当のトワは現実世界でその身の維持するために働いているだろう。

——でも、それはいつから?

 トワは目を覚ましたとき、5年前と感じた。

 しかし、その記憶は真実であっただろうか。

 最後に意識があったのが、5年前、と考えるべきか、それともそれより先の記憶を思い起こしたくなく、彼自身が記憶を遮断しているのか。

 そして、こうして眺めるこの世界は本当に自由なものか。

「先輩——」トワは改めて、目の前に座る彼女をみた。「この世界はきっと全て偽りです」

 アヤは急に真面目な顔になった。「少年にしては、珍しくキッパリと言うんだな」

「僕だって言うときは言います」トワは苦笑しながら答える。「知識の館の正体が分かったんです」

「ほぅ」アヤがどこか興味深そうに言った。「で、それは誰なんだ?」

 問いかけるアヤにトワは首を振った。「何処にもいません」それがこの場合の最善の答えだろう。

 トワはスミレとの会話を思い出す。知識をクラウド上へ集約し、人々がそこへアクセスし、体内のナノマシンに動作を委ねる、クラウド型学習システム。スミレはそれを『それはさながら、知識の館、のようだな』と表現していた。

 それが真実であるだろう、トワは考えている。

 しかし、アヤは首を傾げた。「何処にもいないにも関わらず、管理者などになれるのか?」

「なれます、この世界では」トワは言った。

「納得できないな」アヤが言った。「それが可能なら、その知識の館とやらは神様か何かか?」

 アヤの指摘はあながち間違いではないだろう。今頃、現実世界では知識の館がすべての人へ知識を提供している。それはもはや、一種の神と言っても過言ではない。

「おそらくは、この世界の智を束ねる者です」トワはそう表現した。

 トワは続けた。「多分、先輩の記憶が間違いだった。という指摘も間違いではないと思います」

 アヤが眉を潜める。「それは少年がさっき否定したじゃないか。鳩森図書館は確かに取り壊された、と。電脳が偽りの情報を流すはずがないと」

「確かにそうですね。電脳は世界の総てです」トワは言った。

 スミレと話し合ったときの構想通りであれば、知識の館も電脳の一部、あるいは今ではそれ以上に発達して、電脳そのものになっているかもしれない。

「なら、何が間違っているというのかね?」アヤが首を傾げた。

 トワはゆっくりと考え、ひとつの問いを彼女に投げた。

「偽りの記憶を植えられたとして、僕たちはそれを偽りだとどうやって解き明かすのでしょう?」

 この先、社会に現れる学習型インプラントは知識を直接人間へ書き込む。人々は自身の中を巡るナノマシンを介して、それらにアクセスする。

 そして——ナノマシンの返答を、今を生きる人々は疑うことを知らないだろう。

 トワも、アヤも、例外ではない。

 神託へ尋ねる文化は、記憶すらも、偽りのモノへと変えてしまう。もしくは、記憶というもの自体、本当は存在しないモノなのかもしれない。

「なるほどな。少年の出す問いにしては、実に興味深い」アヤが頷いた。

 彼女は眼鏡を外し、思考モードへと切り替える。

「その記憶は、とても当然のようにそこにあると考えて良いんだな」

 アヤの問いにトワは頷く。

「周りも、同じ記憶を持っている、と考えて良いのか?」

 再び、トワは頷く。

 アヤは眼鏡を机に置き、天井を眺める。「普通に考えれば無理だろうな。そもそも、間違いがあることに気付くことができないではないか」

「でも、確かに間違いはあるんです」トワは言った。「偽りをいつまでも偽ることは出来ません。必ず、別の何処かに影響を及ぼします」

 アヤはじっとトワをみた。「少年ならどうする?」

 トワは小さく笑った。「間違いがある、という事実さえ分かっていれば、あるいはそういう仮定を置ける状況であれば、間違いが引き起こす影響を観測します」

 実際に観測することが出来ないものを見ようとしてはダメだ。記憶の偽り、改竄は、直接調べることは出来ない。間違っていることを、脳が認めるわけがないのだから。

 それならば、人にできることはひとつだけだろう。

 間違いが見せる綻びを探すことだけだ。

 綻びに気付けば、それを引き起こした原因を辿れば良い。最終的に、偽りに気が付くことができる。

「なるほど、な」アヤが納得した。

「先輩は——」トワは大きく息を吸い、もうひとつの問いを投げかけた。


「スミレという名前に心当たりはありますか?」


 本当の彼女であれば、その人を知っているはずだ。

 アヤは記憶を手繰るように上を見つめる。「知らない。少なくとも、友人と呼べる間柄、クラスメイトや親戚にも居ないだろう……」アヤは必死に考え、付け足した。「ただ、どこか懐かしい響きのように思うよ」


——それで正しい。


 トワは立ち上がり、荷物をまとめた。「今日のところは早退します。確認したいことがあるので」

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