それは、さながら—— 3
「え?」
突然言葉を発したトワに、スミレは首を傾げた。
トワは慌てて、説明を付け足す。「以前、先輩と話したんだ。今の社会が向かっているのは、学習型インプラントに頼った人間の機械化ではないか、って」
実際、今のペースで学習型インプラントが普及すれば、知識を機会的に学ぶことが当たり前になるだろう。それは動作だけでなく、知識も。今のような学校教育制度は、そのような社会では意味を為さない。
考えることを捨てなかった一部の人だけが、人として生きる世になる。
「面白い比喩ね」スミレが言った。「確かに。その先輩が言うように、今のわたしたちは機械へ向かっているのかもしれないわ。その方が合理的だものね」
「スミレはこの考えに否定的ではないの?」
「否定的かどうかは置いておくとして、少なくとも事実を述べているように思うわ」スミレはコーヒーを口にした。「でも、そうすると機械に身を委ねた人たち自身はどこへ行くんだろうね」
現実の行いが、全て機械に委ねられるのであれば、現実の世界を人が生きる理由はなくなる。スミレの言うとおり、元々そこにいた人も、その世界では不要になる。
それは人の世と言えるのか。
機械に委ねた人の世界で、人が生きる場所はおそらく——仮想世界——に限られる。
「きっと、インプラントによって作られる永遠に続く夢を見ることになると思うよ。その人が描く、理想の世界を仮想空間の中で生き続けることになる」
トワはコーヒーを口にした。少しばかし、酸化したコーヒーの味が口の中に広がり、溶けていく。この味覚も本当の感覚なのか、それとも彼の中を巡るナノマシンがシミュレートしたものなのか、トワ自身には判断し難いところまで、インプラント技術が辿り着いているとすれば、こうしてトワとスミレが話している世界も偽りのモノになる。
もし、それを疑うなら……トワはもっと根本的なところから世界を疑う必要があるだろう。この世界は実在するのか、あるいは、目の前にいるスミレという人物すら、実在する人物であるのか、どうかを。
トワの中を巡るナノマシンが、スミレという人物を見せている可能性すら既に否定できないところまで、世界は迫っている。
「肉体の枷、魂の自由」
唐突にスミレがその標語を口にした。
「あなたのいう、未来ってつまりそういうことじゃないかな」彼女はコーヒーを飲み続けた。「生きるために肉体は維持しなければならない、そのための労働、日常生活、それらが必要になる。
でも、それらを必要最低限に留めた場合、人が実社会に介在する必要はない。本質的なところで、人は現実を生きることに縛られるけれども、その行い自体は人間がやる必要はない。
それらを機械に委ね、人間が元来持つ創造力を思う存分に発揮できる環境が整備されれば、その本人の魂そのものは自由を得る。つまり、そういうことじゃないかな」
「それを自由っていうのかな?」トワは疑問を口にする。「僕には偽りの自由にしか感じられない」
スミレが微笑む。「確かにね。疑いはじめたらキリがない」
彼女の言うとおり、魂の自由を得たとすれば、好きな世界を旅できる。しかし、その世界もまた、ナノマシンによって見せられた幻想、という可能性を否定できない。それは人の創造力ではなく、機械の創造力というべきだろう。
「ただね。しばらくは、その心配はしなくてもいいと思うわ」スミレが言った。「全てをナノマシンで縛るにしても、ここに知識をインストールするのは効率が悪い、費用的にも技術的にも」
スミレは残りのコーヒを飲み干した。
「もし、キミのいう人間の機械化を完全に実現するなら今の学習型インプラント技術に代わる新しい学習技術が必要になるわ、統一的で革新的な何かがね」
彼女の指摘は正しい。今の技術で全てを実現するためには、必要的にも技術的にも、限度がある。実際、今の学習型インプラントは、製品を購入し、それを直接投与する。システムのアップデートも電脳で対応していないため、新型を買い直すなどして情報を上書きするしかないのだ。
それを実現するためには、インプラントへ書き込むための情報をクラウド上へ用意し、人は常時そのクラウドへアクセスして処理を行う。あるいは、クラウドの学習内容をダウンロード・インストールの後に実行する。
トワの知る限りでは、それが最善の手段のように感じる。トワは考えたことスミレに話した。
「確かに。キミの発想なら、実現も不可能ではないわね」
彼女は目を見開き、手を叩いて納得した。「キミって案外頭いいのね」と、スミレは余計な言葉を付け足す。
「頭が良いも何も、学業成績だけなら、スミレより上のつもりだったけど?」
トワが言い返すと、スミレは少し拗ねたような表情をした。
「わたしたちの成績は置いておくとして、キミの発想はシンプルな上に、今社会が抱えている電霊化を抑制することにも繋がるわね」
トワの発想では、人が余計なインプラントを投与することはなくなる。それは現代社会が抱える電霊という症例の最大の原因を取り除くことへ繋がる。
最終的に生まれる社会が、人の社会であるか否かは……おそらくここで議論するべきことではない。
トワの対面に座るスミレはじっくりと考え込んでいる様子だ。トワはそれを眺め、カップに残っていたコーヒーを飲み干した。
「知識をクラウド上へ集め、人々はそこへアクセスする」スミレは独り言呟くように言った。「それは、さながら——」
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