それは、さながら—— 2

「それでさっきの話だけれど——」

 スミレが求めていた書籍の貸し出し処理を済ませた後、二人は近くの喫茶店へと移動した。二人は丸いテーブルを挟んで座る。スミレは注文もそこそこに借りたばかりの本を眺めている。

「電霊が人間的機械ってどういう意味?」

 トワが率直に尋ねると、スミレはどこか面倒くさそうに答えた。「言葉のままのつもりよ。確かに、電霊は命令系統の均衡が崩れることによって発生するわ。でも、そのときに現れているのは本人ではなく、機械そのもの。人の身を借りた機械が行動をしているから異質に感じる」

「まるで……スミレは、機械をひとつの人格のように捉えているんだね」トワが言うと、彼女は微笑み頷く。「だってそうでしょう? 人と混ざり合い、自然と社会に溶け込むそれらは、人格を持った何かと変わらないじゃない」

 図書館の事務職員も、カフェの店員も、おそらく動作学習型インプラントを利用している。彼らは学んでいるのだ、その場でその仕事をこなすのに必要な動作や対応のありとあらゆる全てを、ほんの僅かなナノマシンを体内に取り込むことによって。

 例外的事象が起こったときのみ、当人を呼び起こす。

 それ以外、人が態々何かをするまでのことはない。

 今こうして、トワとスミレが話しているように、日常的な行の全てを機械に委ねると、それはどこか異質なものへと変貌する。しかし、形式的なやりとりしか生じない、仕事の上で個人の素性は隠されていても人は案外異質に感じない。

 スミレのいう人間的な機械とは、そういった社会に溶け込んだ機械命令系統のこと全般を示すのだろう。しかし、トワはそれを一つの人格として捉えて良いのか、疑問を抱いた。

「いくら人間的であっても、機械にあることに変わりはないのだから、人格として捉えるには無理があると思うよ」

 トワが言うと、スミレが笑った。「案外、キミは機械と人を分けて考えているのね。もう少し、同質なモノとして捉えているのかと思ってた」

 ちょうどそのとき、店員がコーヒーを運んできた。

「こう見えても、今の技術革新に対しては懐疑的な立場をとっているからね」トワはコーヒーを口にしてから続けた。「もうひとつ、知識型学習インプラントによる電霊化が表面上現れない、というスミレの予想はどこからきたんだい?」

 スミレは借りてきた本を丁寧に鞄にしまい、コーヒーへ角砂糖を二つ入れる。「そうね」と、彼女はゆっくり言葉を選びながら話しはじめた。

「さっきも言ったとおり、電霊の主な原因は命令系統の均衡が崩れることよ。人間命令より機械命令の方が先に出てしまうから、狂ったような所作を起こすのね。

 でも、それだけなら本当は大したことはないの。不自然に形式だった所作が目立つ人になるだけで済むわ。それでも、人は電霊であると感じるだろうけどね。

 最も厄介なのは、複数の所作が混在する機械がひとつの身に宿っていることよ。動作学習型インプラントは命令系統を形式的に支配することでその所作を実現する。その切り替えは本来、人間命令が行っているけれども、均衡が崩れたことによって、機械命令がその代わりを担うときに正しい所作の判定が滞れば異常動作の原因になる」

「つまり、スミレは知識学習型インプラントであれば、それが生じない、そう言いたいのかい?」トワが尋ねると、彼女は頷いた。「少なくとも、表の行動では分からないでしょう?」

 スミレの言うとおり、動作学習型インプラントは筋動作の命令系統をナノマシンに委ねることで学習した動作を実現する。一方で、知識学習型インプラントの真髄は、それが単なる神託であること。ある疑問について尋ねれば、知識学習型インプラント群が検索し、その中から最適な解答を仕様車へ伝える。脳の神経回路を乗っ取るようなことはしない。

「正直、知識学習型インプラントによる電霊がどういうものか、想像がつかないな」トワはコーヒーを飲んだ。「単なる神託でしかないナノマシン群が命令系統の均衡を崩すようには思えない」

「本当にそうかしら。少なくとも、わたしは命令系統の均衡は崩れると思うわ」スミレはコーヒーカップを置いた。「知識学習インプラントへのアクセスを担っているのは、社会インプラントの一部よ。人が知識学習型インプラントへのアクセスへ慣れてしまえば、無意識化の下で考えなしに神託へアクセスする。考える機会を奪われた人の思考力は低下し、最終的には機械と人を繋ぐための中継ぎ程度の役割しか果たさなくなると思うよ」

「つまり、ナノマシンの絶対数が増えることによって機会命令が強化されて生じる電霊とは逆で、人間命令が弱体化して生じる電霊、と言いたいのかい?」トワがまとめると、スミレは頷いた。

 スミレの考えは極端すぎるようにトワには感じられた。人間の思考力は、その程度のもので塗り替えられたりはしないだろう。だが、それはインプラントを過信しないトワだからの考えかもしれない。現に、トワは自身の思考を保ち、知識型インプラントへのアクセスは抑えている。

 もし、今のトワが全ての問いを神託へ委ねていたら……場合によっては人ではない何かに感じられたかもしれない。

「そうすると、知識にないことはどうするんだ?」トワが純粋な疑問をぶつけた。

 知識学習型インプラントは万能ではない。知識にないことは答えることができない。

「電脳へアクセスするんじゃないかしら? ナノマシンが勝手に。自発的かもしれないけど」スミレはコーヒーを口にする。「知識学習型インプラントで電霊になった人は、考えることを放棄しているはずよ」

 それは調べる力は養われても、考える力は失われることを意味する。それは無限にある知識のプールから、知っていることを返すだけの……現代の電脳と何ひとつ変わらない。

 なるほど。と、トワは思った。

 知識学習型インプラントが引き起こす電霊は、人を機械へ近づけるものだ。おそらく、外部へ危害を加えることはない、異常行動を起こすこともない。しかし、到底、人間とは違う異質なものに感じるかもしれない。

 トワは、少し前にアヤと話したことを思い出した。彼女は今の社会の流れを——


「人間の機械化」


——と表現していた。

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