第4章 わたしたちが人に見えますか?

それは、さながら—— 1

 葉が散り、陽が沈むのが早くなる頃。街路樹は電飾で飾られ、夜の長い街中を人工の灯で輝かせる。

 当然、気温は下がり、自然と人と人との距離が近づいていく。どれだけインプラント技術が発展しようとも、その技術で寒さを紛らわすことはできない。他の人達がするように、並んで歩くトワとスミレも自然とその距離を詰めていく。

 この日、二人は郊外にある図書館を訪れた。今となっては数を減らした図書館であるが、文書保存のため、政府が一括管理する形で都市部にひとつは設置されている。ここもそのひとつだ。

 社会インプラントが普及し、人が電子書籍で書を嗜むことが当たり前になったこの時代でも、人は電子情報技術を過信するに至っていない。人は未だ、紙や石板に代わる優れた情報伝承技術の実現を為し得てはいない。

 トワとスミレは入館手続きを済ませる。こういうとき、学生という身分は便利だ。

「スミレもここを利用するのは初めて?」トワが尋ねた。

「さすがにね。ほら、ここってアクセスが悪いでしょう? 普段は大学の書籍室で済ませているわ」スミレが苦笑しながら言った。

 スミレの言うとおり、図書館は郊外に併設されているため非常にアクセスが悪い。古い大学のキャンパスとその附属図書館を拡張したという背景があり、インフラを新たに新設することはなかったが、アクセスの悪さは改善されていない。実際、トワ達の通う大学がある都市部から電車を乗り継いで2時間程かかる。

 このような郊外にあって意味があるのか、という意見もあるかもしれない。しかし、こうして図書館を利用とする人は少ない。多くの人は電脳で事足りるのだ。電子化されていない希少な書籍を欲するのは、一部の研究者か好事家程度。

 この日も、休日だというのにトワとスミレ以外の利用者はまばらだ。入り口前に設けられた本日の来場者数を示すカウンタは、ようやく二桁に達したところ。

「確かに。もう少し、都市部にあれば毎週か、毎月来てもいいくらいだ」トワが言った。

 トワもスミレも電子書籍より、紙書籍を好む。そのため、図書館へ足を運ぶことにそれほどの抵抗感というものはない。むしろ、機会があるのならば、可能な限り行きたいとさえ思う。

「それで、今日のスミレの目的は何? 態々、ここへ来たってことは、普通じゃ手に入らない書籍なのだろう?」

 スミレは嬉しそうに笑いながら図書館のゲートを潜る。「えぇ。ずいぶんと昔に絶版になった専門書。出版社が再版する気もなければ、電子書籍も出す気がないんだって。それで出版社を名乗られても困るよね」後半の方に若干の嫌味を感じた。

 スミレとて紙書籍至上主義という訳ではないから、紙書籍が絶版になっても電子書籍があれば彼女はそちらへ流れる。しかし、最近は電子書籍すら出版しないところが増えている。

『もしかして、インプラント化された?』トワが尋ねた。館内は私語厳禁のため、電脳間通話へ切り替える。

 スミレが笑い、即座に電脳間通話に切り開けて答えた。『あら、そのあたりの情報には詳しいのね』トワの脳内に、彼が持つスミレの音声記憶をベースに構成された彼女の声が響く。幻聴が聞こえるというより、声を発していないにもかかわらず、実際に話しているような感覚がトワを襲う。目の前に居るのに、電脳間通話を使用するのは違和感があるが、慣れれば普通の会話と大差ない。

 社会インプラント普及以前から書籍の販促状況は芳しいものではなかったと聞く。時代を経るにつれ、書籍は人々の手元から離れていった。全ては電脳が支え、電脳の記事を頼りに情報を得る人が増えた。そのため、対価を支払って書籍を手にしようとする人は少ない。

 これは紙書籍を電子化したところで解消される話ではない。世の中の人は、意外な程に書籍を読もうとしないのだ。特に、参考書のようなものは。売り上げを考えるなら、インプラント化して、知識を直接当人へ学習させた方がよい。そのため、多くの出版社が知識学習型インプラントの販売に手を広げている。

 実際、専門書系知識学習型インプラントは高度な知識を得られるという意味で非常に人気が高い。インプラントが普及する以前、旧時代の人々が何年あるいは何十年と掛けて学び、開拓してきたそれらをわずか人差し指の先程度の大きさに収め、数秒のうちに会得することができる。

 もちろん電子書籍や紙書籍に比べれば、値段は跳ね上がるが、時間をお金で買っている、と考えれば許容の範囲内といえる。

『スミレは使う気はないの? インプラント学習』トワが尋ねると、スミレは少し悩みながら答えた。『必要最小限ならそれほど抵抗はないわよ。ただ、無闇に知識を買うのは何か間違っていると思うし、そうして生まれた知識は本当に知識と言えるのかしらね』

 スミレはまっすぐに理工系書籍コーナーへと進んでいく。彼女は目的の場所へ辿り着くと、足を止め、ゆっくりと並べられた本を眺める。

 トワも彼女と並んで歩き、時折自身の分野の本を手に取ってそれを眺める。

『スミレって、どことなく考えが古いというか、慎重というか……あまり、新しいことには手を出さないよね』トワは手に取った本を元の場所へ戻し、少し離れたスミレの元へ駆け寄る。

『そうかしら?』振り返りながら言った。『普通のことだと思ったけれど。わたしからすれば、まともな教養を持っているのに、ミーハー的にあれやこれやへ手を染めるキミの方がどうかしていると思うよ』

『別に乱用している訳じゃない』トワは否定した。

 スミレの言うとおり、トワは学習型インプラントをはじめ、様々なインプラント技術を追っている。そのために、最近は紙書籍を買う余裕が減っていることもスミレには見抜かれていた。

『そうね』溜め息混じりにスミレが言う。『わたしもあなたが乱用するとは思っていないわ。ただね——』隣の書棚へ移り、書棚の隙間越しにスミレはトワの目を見つめた。『キミは何処かでキミ自身を見失ってしまいそうなのよね』

 トワはしばらく彼女の目を見つた。そして、視線の側にあった計算論の本を手に取る。『どういう意味?』視線を書籍へ落としたまま、トワはスミレに尋ねた。

 スミレはゆっくりと書棚を進みながら答えた。『以前、電霊の話をしたでしょう?』

 その話をしたのは夏頃であった。今も時折、ニュースで流れる。学習型インプラントの濫用が引き起こすと考えられている現象だ。厳密には、多量のナノマシンを体内に取り込むことによって、人間本来の命令系統とナノマシンの命令系統の均衡が崩れることによって生じる神経異常。身体が思うように動かなくなったり、夢遊病のように本人が意図していないうちに何処かへと行ってしまったりする。実際に死亡事故も発生している。

 一部のメディアは学習型インプラントの危険性を否定しているが、現代において人がナノマシンを大量投与する要因は学習型インプラント以外にない。

『動作学習型には手を染めていない』トワはスミレの言葉を否定した。

『現状は動作学習型の症例が多いけれど、それって知識学習型の影響が否定された訳じゃないでしょう? あなたは少し、知識を技術に頼り過ぎなのよ』彼女はどこか説教口調に言った。

 スミレの言葉にトワは言い返した。『スミレの言うとおり、僕は知識型インプラントを多用している。でも、限度は把握しているから、キミが心配するようなことは何もないよ』

 トワは計算論の本をひと通り眺め通した後、目新しい情報がないと判断し、それを書棚へと戻す。その頃には、スミレは別の書棚へと移っていた。

『そうかしら』スミレが言う。『知識型インプラントによる電霊化って、表面上じゃ分からないと思うわよ? キミも私も気付かないうちに電霊になっていたって不思議じゃない』

 スミレは理工系書棚の最後の列へと姿を消した。トワは彼女を応用にその列へと移動する。『それは以前、スミレが言っていた、機械的に見えることと関係があるのかい?』

『さぁ、それはどうだろうね』スミレは視線を書棚に向けたまま、トワの問いに応えた。『異質、という意味では確かにそうかもしれない。でもね、電霊ってわたしたちが思っている以上に人間的な機械なのかもしれない』

 彼女は最後の書棚を眺め終えると、溜め息を吐いた。『見つからなかったのかい?』トワが尋ねると、彼女は頷いた。『どうやら、閉架書庫にあるみたいね。取り出し申請するわ』

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