鳩森図書館 1

「——思ったより不真面目な人なんですね」


 放課後。

 隣を歩くユイにトワはそう言われた。

「不真面目というより、授業に身が入っていなかっただけだよ」などと言って誤魔化す。

 少なくとも真面目ではないから、ユイの指摘を全面的に否定することは難しい。

 トワは約束通り、ユイを文藝部の部室へと案内していた。

 文藝部の部室は旧校舎の方にあるため、トワ達の教室からは少し遠い。旧校舎も大半が取り壊されたが、部室棟と幾つかの資料室だけは残されている。

「ここです」トワは図書資料室と書かれた部屋の前で立ち止まった。表札を見てユイが首を傾げる。「文藝部じゃないんですね」

「旧校舎時代から表札を変えてないんだよ。別にこのままでも困らないからね」そう言いながら、トワはドアを開いた。中には先客がいた。

「やぁ、少年。今日は随分と早い到着じゃないか」

 一足先に部室に来ていたアヤが文庫本から目を離し、トワの方を向いた。「おや? 客連れとは珍しい。少年は私と一緒でクラスに友達は居ないと思ったがね」

「先輩と一緒にしないでくださいよ。僕だって人並みに人付き合いはしますから」

 入室早々小言をいうアヤを適当にあしらうトワ。その背後で、ユイは目を輝かせていた。

 文芸部の部室自体は広い空間ではない。ステンレス製の書棚を適当に寄せてつくった省スペースに空き教室から持ってきた机を並べているだけの空間。

 もちろん、文藝部というだけあって、書棚には紙書籍が並べられている。大体は寄贈された物か、歴代の部員たちが置いていった物。その寄贈された書籍類が、鳩森図書館の蔵書であったことをトワは昨夜知ったばかりだ。

「すごいです」挨拶もろくにせず、ユイは書棚の方へと消えた。紙書籍を物色し、手にとっては開いてを繰り返す。「こんなに紙書籍が並んでいるところ初めて見ました」などと喜びの声をあげている。

 ユイのその様子を見て、アヤが言う。「また随分と変わり者を捕まえたね」

「昨日、僕のクラスに来た転校生です。紙書籍があるって言ったら食いつきました」

 正直、トワもこれほどの反応を示すことは想定外であった。

「なるほど。つまり、彼女が昨日の少年の浮気相手ってことだな」揶揄うアヤにトワは反論する。「浮気も何も僕らはそういう関係ではないですよね」

「確かに、少年にとってはそうかもしれないな」

 トワは、それはどういう意味か、問い詰めようかと思ったが面倒なことになりそうなのでやめた。おおかた、いつも通りのアヤの揶揄い文句だろうと思い流す。

「本に夢中なところ申し訳ないけど、ユイ、こちらが部長の先輩」読書に夢中になっているユイを引き留め、アヤに紹介する。

 ユイはそのときになって、ハッとする。「すみません。挨拶もなしに急にはしゃいでしまって」

「別に構わない。うちの部に入るなら自由に読んでくれ。他の部員たちも中々寄り付かないので、常駐する部員が増えるなら歓迎さ」と、アヤは苦笑混じりに言う。

 ユイの最低限の紹介を済ませたので、トワは定位置に腰掛け出された課題リストの整理を始めた。ユイも書棚の奥へと引っ込み、アヤも元々読んでいた文庫本に目を落とした。

「先輩以来じゃないですか、紙書籍に反応する人」トワが言うと、アヤは頷いた。「確かにそうだな。紙の良さに気づいてくれる人が増えて嬉しいよ」

 実際、アヤは自力で紙書籍を収集するくらいには紙で読むことを好んでいる。学校で使う教科書や参考書も可能な限り紙書籍を使用している。トワからすれば、どうやったらこの時代に、この片田舎で、紙書籍を見つけて来れるのか不思議で仕方ない。

 残念ながらその秘密を本人は話してくれはしない。

 しばらくすると、書棚の奥に消えたユイが1冊の本を持って戻ってきた。

 アヤが少しだけ顔を上げた。「席に指定はない。自由な場所を使ってくれ」

「わかりました」とユイは短く答えてトワの隣へ座る。よく見ると、彼女が持ってきた本には月桂樹の輪とその輪の中を飛ぶ鳥の絵が描かれたシールが貼られていた。

 鳩森図書館から寄贈された書籍であった。

 よく書棚を見渡せば、その紋様が描かれたシールの貼られた書籍が過半数を占めていた。

 どうしてこれほど見慣れた物をあのとき忘れてしまったのだろう、とトワは昨日の出来事を思い出す。例の紋様が描かれた門を潜ろうとしたとき、かつて体験したことのない頭痛と警告音が脳裏に鳴り響いた。

 思い返しただけで、トワは顔をしかめてしまう。

 それほどにあれは苦痛な体験であった。

「ところで」と、アヤはトワの方を見た。「昨夜の話だが、あれはどういう意味だ?」

「鳩森図書館のことですか? 確かに建っていましたよ」今朝、トワが家を出るときもその建物はハッキリと見えた。妹のサクラにも確認をとろうとしたが、タイミングが合わず確認が取れていない。

「少年の見間違い、ということはないのか?」

 どうやら、アヤは未だにトワの見間違いを疑っているらしい。実際、取り壊された記録が残されれている建物だ。見かけた、というトワの発言の方がおかしいに決まっている。

「今朝見たときもあったので、少なくとも僕の見間違いってことはないと思いますよ。残念ながら他の人の確認は取れていませんが」

 そのとき、トワはあることを思い出した。ユイも彼と同じバス停から通っている。あの周辺の住民なら、見掛けているかもしれない。

「ユイ、古い洋館を見てないか?」

 読書に夢中になっていたユイが驚いたように顔を上げた。「洋館……ですか?」彼女は何かを思い出すように、天井を眺めた。

「家の近くの丘の上あたりに、全体像は見えないかもしれないけど」

 ユイはしばらく考え込み、「もしかして、あの建物かな?」と首を傾げる。「大体の位置は分かりますか?」

 トワは、昨夜アヤに送ったものと同じ位置情報をユイへ転送した。彼女はその情報を確かめ、「多分、建っていたと思います」と言った。

「随分と古い建物だったので、使われていないように思いましたが、それが何かあるんですか?」

 不思議そうに首を傾げるユイにアヤが言った。「その建物は随分と前に取り壊されているんだよ」

 おそらくアヤが例のサイト情報をユイへ送ったのだろう。彼女は空を眺めながら頷いていた。「不思議なこともあるんですね」

「不思議、というより本当ならありえないことだよ」アヤが言った。「少年、一応聞くが、昨日より前にこれを見た覚えは?」

 トワは首を振った。「ハッキリとは覚えていません。ただ、昨日初めて見たような気がします」

 実際、5年前の記憶にないのだ、その建物は。そもそも私立図書館なるものがあったこと自体、トワは昨夜知った。

「今から確かめに行きますか? わたしの勘違いかもしれませんし。」そう提案したのはユイであった。「引っ越したばかりでこの周辺のことをあまり知らないので、ついでに案内していただけると助かります」

 アヤはぱたんと紙書籍を閉じた。「もとよりそのつもりだ」彼女は立ち上がると、手早く荷物をまとめた。「街の案内もするなら早いほうが良いだろう」

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