黄金色の転校生 2

 結局、トワが家を出たのは学校に遅刻しないギリギリのバスに間に合うくらいの時間であった。玄関に放置されていたごみ袋を片手にトワは家を出た。

 バス停までは緩やかな坂道が続く。バス停とは反対側、少し坂を登ってトワはごみ袋をゴミ捨て場に捨てる。軽く身体を伸ばす。

 トワの視界にひとつの洋館が映った。随分と古い建物だ。壁には蔦が這い、とうてい人が住んでいるような空間には思えない。実際、窓はひび割れ、場所によっては窓すらない。


——あんな建物あったかな?


 少なくとも、昨日あの建物を見かけた覚えはない。

 とはいえ、一夜で建造できるような建物でもない。

 トワは自身の記憶を辿った。しかし、あのような洋館をみた覚えはなかった。トワの記憶違い、という可能性もあるが、あのような印象的な建物を忘れることがあるだろうか。

電脳へアクセスし、トワは例の建造物について調べる。しかし、洋館の情報はどこにもなかった。トワは地図も確かめた。ところが、地図の上にもあの建物は存在しなかった。


 存在しないはずの建物が存在する。


 トワの冒険心を掻き立てるのに、これほど十分な要素はなかった。今すぐにでも調べに行きたい、トワはその想いをナノマシンの警告により止められてしまう。

 もうじき、バスの時間だ。

洋館へ一歩踏み出そうとすると、警告の音が煩くなる。頭痛のように脳内にこだまするその音は、トワがバス停の方へ足を向けるまで鳴り止むことはなかった。トワは肩を落とし、バス停へと急いだ。

 バス停は海岸線沿いの大通りにある。トワの家は小高い丘の斜面に作られた新興住宅地のひとつである。丘を切り拓いて作られた街であるため、とにかく坂が多い。歩きや自転車での移動は、体力のないものには難しい。そのため、この街の人の移動手段は大抵、車かバイク。子供達はバスを多用する。

 利用者が多いため、バスの利用料金は比較的安価に抑えられている。乗った距離に関係なく、一律の運賃で利用できる。特に、この街の学生なら学生証を見せるだけで、運賃がただになる。

 トワがバス停へ辿り着くと、先客がいた。この時間は、社会人は就社ピークを終え、中高生達も登校を済ませているはずの時間だ。この時間にバス停へやって来る人は、退職した老人か、遅刻しかけて少し焦っている高校生くらいなものだ。

 少なくとも、その先客はお年寄りではなかった。

 透き通るような黄金色の髪が特徴できな、赤いアンダーフレームの眼鏡を掛けた少女。潮風に揺れる髪を抑え、耳にかける。少女は手にした文庫本に目を落としている。

 トワはその少女を知っていた。

 本当の彼なら、彼女のことを知らない。現実では、ここで出会わなかったのではないか、とさえ思う。

 だから、この場で声を掛けるのは不味いと頭では分かっていた。しかし、その印象的な美貌を前に、記憶の片隅から離れることない、彼女を前に、トワが声を掛けることを止めることはできなかった。


「ユイ!」


 当然、彼女はキョトンとした表情を浮かべる。

「どこかでお会いしましたか?」

驚き、そして警戒するようにユイと呼ばれた少女は尋ねてきた。

「いや……初対面だと思う」流石に、未来であったなどと言えるはずもなく、トワは適当に誤魔化した。

「なら、どうしてわたしの名前を知っているのですか?」

 彼女の問いは至極当然のものであった。初対面の人に突然名前を聞かれたら、不自然に思うだろう。

 きっと、今頃ユイの視界には緊急通報用画面が表示されている頃だろう。危険を察知し、社会インプラントが機能したらそれが表示される。彼女がボタンを一つ押せば、トワは危険人物として登録され以後追尾、最悪の場合は公安のお世話になる。

 トワは最大限怪しまれないように言葉を選んだ。

「むかし、この辺りで逢ったことある人に似ていたから」

理由としては些か無理があったかもしれない。

「そうなんですね」しかし、彼女は納得したようだ。「名前まで一緒なんて、偶然ですね。わたし、この街には昨日来たばかりなんですよね」

 トワは最悪の事態は免れたとホッと胸を撫で下ろす。

 ユイは再び、文庫本へ目を落とした。しかし、何処か気まずそうにトワの方へ時折視線を向ける。

 実際、トワも気まずいのは確かだった。

 何を話せば良いのか分からず、かといって黙っているのも何か違うな、と感じた。

 トワの感覚では、今更彼女はよそよそしく接するような間柄でもない。しかし、今のユイの感覚ではそういう訳にもいかない。

 彼女にとって、今のトワは初対面の人物なのだ。


——気まずい……


 トワはわざと忘れ物を思い出した振りをして、一度家に帰ろうかと考えた。しかし、教科書が電子書籍、ノートも電子化された昨今、服を着ずに家を出る以外に学校へ行く程度の用事に忘れ物をする方が難しい。

 彼女に気付かれない程度の小さな溜め息の後、「あの——」とトワは、ユイに話しかけた。

 いざ、話しかけてみると彼女も会話にのってくれた。

 バスを待っている間、彼女についての情報をいくつか得た。名前は、ユイであっていた。歳はトワと同い年で、親の転勤に伴ってこの街に引っ越してきたらしい。

 偶然というか、必然というか、ユイも今日からこの学校へ通うらしい。

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