第2章 アクセス権限がありません
電霊
「電霊?」耳慣れない言葉に、思わずトワは聞き返した。
「そう。ナノマシンの過剰投与によって起こる現象。体内のナノマシンの比率がおかしくなって、機械命令と人間命令の均衡が崩れた結果、まるで亡霊のように身体が動くんだって」
日曜の昼下がり。人通りの多い大通りに面したカフェテリアでトワ達は昼食をとっていた。9月も終わろうとしているのに、今年の夏の残暑は未だ尾を引いている。しかし、それも昼間だけのこと。陽が沈むと途端に冷える。
トワは温度調節用に腰に巻いていたパーカーに袖を通した。空調の効いたカフェテリア内はむしろ肌寒いくらいであった。
それは向かいの席に座るスミレも同じであったようだ。
この日、2人は来週から始まる大学の講義用の参考書を探しに来ていた。電脳で閲覧、購入が出来る世の中になっても書店が一定数残っているのは、彼らのような紙を好む人が残っているからだろう。
スミレは今朝のニュース記事をトワへ共有した。ナノマシンを介して、空間に擬似的に表示されたその記事は、彼らの身体に流れるナノマシンの危険性を指摘するものであった。
「過剰投与って、そうそうするものではないだろう?」トワはろくに記事に目も通さずに言った。既に世間に広まったインプラント技術の不安を煽って何の意味があるのだろうか。
しかし、スミレが首を振った。「ちゃんと読んでないでしょう。ほら、ココ」彼女は呆れた溜め息を吐き、共有したニュース記事にマーカーを引いた。
インプラント学習の過剰投与による電霊化がここ数ヶ月の間に頻発しているらしい。インプラント学習は2年くらい前から始まったナノマシン技術だ。歴史や語学、数学、学校で習うありとあらゆる事物を詰め込んだナノマシンを投与することでその知識を会得できる、というものだ。
トワも何度か試したことがある。確かに、知識を手軽に得ることができる上に、記憶と違って忘れることがない。
知識を金で買う時代が来たのだと、トワは時代の変化を悟った。
インプラント学習の問題は、従来の知識を問う試験が無力化されたことだろう。金さえあれば、知識は好きなだけ買うことが出来る。これまで以上に、学力に対して貧富の差が浮き彫りになると思った。しかし、問題は別のところで起こった。過剰投与による、自我の喪失だ。
「なるほど、動作学習型インプラントの方が問題視されているのか」
ひと口に学習型インプラントといっても2種類ある。学術的知識など得るための物と礼儀作法などの動作を習得するためのもの。電霊化は主に後者の側で起こっているらしい。
「爆発的に流行ったもんね。色んなことが出来るって」スミレは電脳で買うことが可能な動作学習型インプラントの一覧をトワへ見せた。
電脳の認可を得ているものだけで、1000種類は超えている。ビジネスマナーや冠婚葬祭での作法だけでなく、例えばドラマのキャラクターの動作を真似るものであったり、料理方法を学ぶものであったり、とインプラントショップで買える物も含めたら、習得できない所作を見つける方が難しそうな状態であった。
「態々、学ぶものなのかな。こういうのって」トワはコーヒーを口にした。
「古い企業は気にするんじゃないかな、ビジネスマナーとか」スミレはどこか皮肉っぽく言った。
そういえば、夏休みの間に幾つかインターンシップに参加していたな、と今更ながらにトワは思い出す。本人が何も言わないから、触れられたくないのだろう、と思い深く尋ねてはいない。
「知識は欲しいと思うんだけどね」トワは幾つか電脳のストアをチェックした。知識学習型インプラントも数千種類登録されている。
スミレが小さく笑った。「まぁ、キミはそうだろうね」
「電霊って、知識学習型インプラントでも起こるのかな?」トワが首を傾げた。
幾つかの事例を検索したが、確認されているものはどれも動作学習型によって引き起こされるもの。知識学習型インプラントによる事例は報告されていない。
「うーん、どうだろうね」スミレはどこか遠くを見た。彼女が考えるときのクセだ。「起こらないことはないと、わたしは思う。でも、それは動作型より表には現れない気がする」
「どういうこと?」トワが尋ねると、スミレはアイスティーを口にした。「どう説明したらいいかな?」彼女は考えながら、アイスティーのグラスをテーブルへ置いてから続けた。
「知識型って、動作型と違って表に学習したことが出てこないでしょう? あくまで知識を蓄えることしかできない、少しばかり賢くなるだけなんだよね。
でも、動作型って人の所作を覚えるでしょう? どれだけ本人が隠そうとしても表に出てしまう。それが人間味を持たなくなってしまうと,どうしても不気味に見えてしまう。だから、電霊って気づかれてしまうんじゃないかな」
トワはゆっくりと相槌を打つ。「なるほど……でも、知識型でもあまりにも賢すぎると機械的に感じるんじゃないかな」
「難しいところだね」スミレが言う。「もちろん、機械的にみえるかもしれないけれど……頭の良い人って大抵がそう言う印象な気もする」
スミレはアイスティーを口にした。
「それだと、頭の良い人はみんな機械と言っているようなものじゃないかな」
「あながち間違っていないんじゃない?」スミレが素っ気なく返す。「多くの人が自分と違う人を異質に感じるでしょう?」
トワは確かにそうかもしれない、と感じた。
社会集団は似たような感性を持つもので構成される。一部の、彼らとは異なる感性を持つ、人々は異質といわれ、理由もなく嫌われる。その一部に成りたくない者も同調するように彼らを嫌う。
「それならさ」トワはコーヒーを口にした。ほのかな酸味が口の中へ広がっていく。「電霊が増えれば、電霊が異質に感じなくなるのかな」
「それはどうだろうね」スミレはアイスティーを飲み干した。「もう少し、インプラント学習が一般浸透しない限りは難しいんじゃないかな?」
「十分に浸透しているような気もするけどね」
「それはキミが経験者だからなじゃない?」
トワもコーヒーを飲み干した。「否定しない」
「ただ、この情勢だと廃れるかもね」
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